(怒りの独善性について)
昨日読んでた本で、脳科学者の養老孟司さんが、個々人の善悪の判断は脳の論理的な
部分で行われない、って言ってて、人は各々悪と感じたことに怒るわけだけど、それ
は感情的なもので人それぞれでその感じ方は違う、と、その人が怒りの理由を理屈で
説明したとしても、それは後からついたへ理屈のようなものだ、って。
で、思い出したのがその前々日ぐらいに読んだ、新聞の何気ないコラム。ケンブリッ
ジ大だったかで教授やってる70才ぐらいの分別ある学者が、同僚と居酒屋で飲んでた
時、となりのテーブルで若い会社員らしいグループのひとりが、職場のなにかに怒っ
て興奮し続けてるのを目にして、そういえば、自分もあんな風に怒ったことがあった、
って、若い頃勤めた会社の上司が休んで戻って来た時、その上司から、次席である彼
が自分の代りに決済しておいてくれればいいのに、って言われ、怒ったと。それの責
任者は上司でしかないわけだし、仮に自分がやったとして、決済作業に不手際があっ
た場合、上司のあなたが責任をとってくれるのですか、って聞くと、そんなことでき
るわけない、って言われたと。よし自分が全部責任をとろう、って言われたら自分も
それをしてもいいと思ったんだけど、ってようなことを長い時間主張し、結局上司は
折れた、って言うんだけど、自分はあんなに怒ったのは若さのせいだと言いながら、
でもあの時の議論は絶対に自分の方が正しいのだ、って彼はそのコラムでも言い切っ
ていた。
それを読んだ時、代りにやってくれればよかった、って言った上司はすでに、その彼
の能力を認めてるわけだし、代りにやるということは、その責任も引き受ける覚悟が
必要に決まってるわけなのに、それを、決まりだから、って避けようとする理屈が私
には全然正しいとは思えないのに、数十年も経って年を重ねても、人には自分が正し
い、って断言できちゃうわけなんだな〜、って感心したもんだった。
もちろん、この判断は私個人のもんで、彼の言ってることにも一理あることはわかる
し、何言ってんだ、彼の言ってることの方が正しいに決まってるだろう、って思う人
の方が多いのかもしれないな〜、ってことも感じるのだ。
だから、あきらかにだれかが理不尽な暴力や被害を受けてる、って言ったようなもん
以外、怒りの元の善悪の判断、ってあまり簡単にはできないもんらしい。 |