11/15のしゅちょう             文は田島薫

(無駄口について)

世の中に「無駄口」ってもんがあるとすると、それは表現されたものが、それを受ける

相手になんらかの不快感だけを与え、目的とした情報伝達が不能か不用になるようなも

ののことを言うんだろう。この目的ってもんがけっこう大事で、例えば不快感を与える

ことが目的の場合(もちろん、これには最終的に自分たちや相手のためにもなるような

ものである方が望ましい)には無駄とは言えないんだけど。

だれでも人に何かを言ったりする時に、それが無駄口になることは予想しないもんだか

ら言えるわけで、まったく無駄だとわかってたら何も言う気にはならないだろう。

しかし、期待に反して無駄口はそこらじゅうで乱発されてるのだ。

これは私にとっても他人事じゃなく、よかれと思って長々喋ってることが、受け手や、

そのタイミングによって、またはその他の理由で、無駄口になるわけで、今書いてるこ

の文だって、うるせーな、って思う人がたくさんいて、無駄口になってるかも。

文の場合は、つまんない、って思えば読むのをやめることもできるし、最後まで読んで

から、おいおい、つまんないもん読んじゃったねー、ってがっかりすることがあっても、

読んだのは自分の主体的意志ってことだからあきらめもつくんだけど、問題は、生で、

浴びせられる無駄口なのだ。

声に出されれば、いやでも耳に入って来るし、それが、自分にとって、全くナンセンス

で自分の置かれた状況と都合を無視した勝手なメッセージだと腹も立ってしまうだろう。

例えば、何か失敗して後悔して落ち込んでいる子供に親がその失敗の非をしつこく叱り

つけるような泣き面に蜂型無駄口とか、めずらしくやる気を出したり、明日が試験で必

死に夜遅くまで勉強してる子供に、遅いから寝なさい、って気軽に言うような、独善優

しい自分意識型一言無駄口とか。

色々な式典などや、雑談でも、どっかで聞いたふうな退屈な話をいつ果てるともなく続

けて自分が人に注目されてることを喜んじゃってる型無駄口とか。

相手がそれをどう受け入れてるかをよく注意して、何かを話す時は相手の立場や興味や

希望などをよく考えながら話したいもんなんだけど、これがなかなか難しいもんで、少

しギャグをまじえて喋ったりしちゃ、ただの無駄口になって、うるさいっ、なんてよく

言われたもんなのだ私も。




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