6/14のしゅちょう             文は田島薫

(正直力について)

作家の田口ランディさんの昔のエッセーの中にあった話、無愛想で対応のきつい病院の

受付がいて、彼女の前ではいつも自分がとがめられてるような気持ちにさせられ、緊張

してしまうもんで、ふたりだけになったある時そのことを、責めるんではなくて、あな

たの態度に合うと自分がそういった気持ちになってしまう、ってことを伝えたら、はっ

と、気がついたらしく、後日、それについての弁解があり、それからは親しく会話もで

きるようになった、とあって、相手が正しいとか間違ってる、と評価を伝えるんではな

く、自分が感じたことを伝えるのがいいんじゃないか、って、なるほど、と思った。

相手に対して感じたことを伝える、って言っても、自分がつらく感じることについてで

あって、相手が自分のきらいな趣味の服着てるとか、相手の信仰宗教が自分に気にいら

ないとか、の大きなお世話をなんでも伝えればいいと言うことではないのだ。

自分がよかれと思ったり、全然気にもとめずに自分では普段通りの普通の表現したり、

気のきいた冗談のつもりで言ったことで、人に思いもかけない受け取り方されることが

あるもんで、ひょっとするとそういった行き違いなんじゃないか、って想像力を働かせ

た結果のことなんだろう、よりそれが働けばそこで自分の気持ちも変わる場合もあるだ

ろうし、どうしてもわからなくても、そこには、誤解で人を嫌ったりしたくない、って

愛に基づいたような意志があるのだ。

そんなふうに正直に自分の傷付いた気持ちを伝えられると、よっぽどの確信犯でない限

りたいてい対応が変わるのだろう。

とは言っても、みんながこんなふうに本心を出し合い、なんだそういうことだったのか、

って分かりあって、みんな仲良くなる、っていうのも気持ちわるい場合もあるから、こ

れを多用するのが必ずしもいいとばかりも言えないかもしれない。要はそうやって正直

に心打ち明けると分かりあえる確率が高い、ってことを知っておくのもいい、ってこと

で、芯から嫌な人間はそうはいない、ってわかった上で、いやな野郎だな〜、って感想

を楽しんだり、わざと悪態を言い合ったり、ってことが余裕でできたら、もっと豊かな

大人の人間関係を楽しめるのかもしれない、ってことだ。




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