1/25のしゅちょう             文は田島薫

(考えない人々について)

民主党小沢幹事長の資金管理団体の土地購入資金に岩手県のダム建設にからんだ収賄

の金が含まれてるんじゃないか、って疑いで検察庁は、収支記載義務違反といった言

わば別件で秘書逮捕や、当人への事情聴取を要請したのに、小沢さんがなかなか応じ

ない末やっとそれに応じたことや、足引っぱるチャンスだとばかりに大張りきりの野

党自民の批判と民主党の反論などをマスコミが興味本位に連日取り上げるもんで、全

然証拠も確定してないし、当人が潔白を主張してるのに、庶民は、あの小沢さんなら、

当然クロだろうと決めつけ、街頭インタビューなんかで、辞めるべきだ、などと気楽

に意見を言ってるようだ。

庶民ほとんどは、小沢さんの過去の自民体質を知っているし、それでも政治改革の志

しを信じて民主党を支持したはずで、自己改革も少し過渡的な面もあるが、例えば、

企業献金の全面禁止などの施策などの法整備も考え、自らの旧体質から脱却しようと

している志しを信じたはずなのだ。

ところが今庶民の多くは、国民のための大きな政治改革のためにしてるはずの小沢さ

んの政治活動を理解したり目を向けたりする変わりに、彼が決別しようとしている過

去の体質の言わば残りカスに疑いを向けて、従来だったら自民党のだれもがやってた

ような帳簿操作を誇大に騒ぎ立て、確定もしてない疑いで罪を決めつけ、すでに重大

汚職を犯した人物のような雰囲気にされてしまったおかげで、考えない庶民は、その

通りに感じてしまうのだ。

もし、そういった検察の取り調べもなく、帳簿の修正を申告して、何ごともなかった

ように処理されてたら、多分、庶民も彼に辞職を迫る発想は出て来ないのだ。

政治で一番大事なのは、有能な政治家の微罪に大騒ぎしてどんどん辞職させることで

はなく、そういった違反が、時には許され、時にはだれかの都合で急に厳しく取り締

まられたり、を可能にするような曖昧な法律の整備をきちんとやることなのだ。





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