(敬意と軽蔑と親愛と憎悪について)
家族や友人、その他の社会環境での人間関係で、相手に対して人は様々な感情を持つ
わけだけど、例えば親愛と憎悪と並べれば、双方にとっても親愛を感じる方が快いの
は言うまでもないとして、する側にとっての敬意と軽蔑を並べたら、一概に敬意の方
が快く、軽蔑は不快、って決めつけられるだろうか?
自分よりもあらゆる点で優れていて、一緒にいると自分の劣等感を意識され過ぎてし
まう、って場合と、気楽な友人関係でありがちな(?)ほんとに下らないやつだな〜、
ってお互いに軽蔑を感じ合うんだけど、どこか憎めないし、自分の方がこいつのここ
の部分に関してはましじゃないか、って安心したりする、って場合とか。
でもこういった感情は例えば、軽蔑感だけ、って単純な要素で関係を作ってる場合は
本当の友情のようなものは成り立たないはずで、友だちなら、お互いに少し軽蔑し合
う部分があったとしても、こいつのこういうとこは自分より偉いな、って敬意を感じ
るものがあったり、ってお互いに感じ合ってるもんなんだろう。
そういった意味では、敬意と軽蔑、親愛ばかりでなく憎悪さえも、包括して、大きく
見れば円満な人間関係ってものは成り立つのだ。
要はそのバランスの問題で、軽蔑と憎悪だけで成り立つ人間関係があるとしたら、そ
れは双方にとって不快な関係だろう。
それが不快だからそういった人間が存在する意味はないかどうか、って言えば、その
不快さの本質を考える材料を提供してもらえる、って意味では大いに存在理由はある
と言えるかもしれないんだけど、できれば、そういった関係は持ちたくない、って思
うのが、一般的感情だろう。
で、その、軽蔑と憎悪を感じさせる人間ってものはどういった存在か、考えると、ま
ず、そんな人間が本当にいるかどうかわからないんだけど、人に何かを与える気持ち
を全く持ち合わせないのに、自分は優れた人間だと思い込んでいて、他のどんな人間
にも敬意を感じることができず、自分の利益のためには他人をどんなに苦しめても全
く気にとめない、ってような人間。
逆に、敬意と親愛を感じさせる人間なら、それと真逆な条件を考えればいい。
で、けっきょく、人間はそのどちらかにきっちり属すってわけにはいかず、それらの
要素の分量をより理想に近づけようとがんばるのがいいんだろう。 |