11/16のしゅちょう             文は田島薫

(わからないおもしろさについて)

世の中、なんでも知ってる老人もいれば、なんにも知らない子供もいる、かと思えば、

なんにも知らない老人や、なんでも知ってるようにみえる子供もいたりする。

そのなんでも知ってるように見える人、っていうのは、そのなんでもにあたるものを

知らない人から見てそう見えるのであって、なんでも知ってるように見える人も、自

分はまだまだなんにも知らないって思ってることも多く、上には上があったりする。

人はわからないことがあると、それを知りたくなって、それを調べたり、手っ取りば

やくそばにいる人に聞いたりするわけだけど、子供なら気楽にそれをやれても、大人

になると、知らないということを人に知られるのがみっともない、などと思って、知

ってるふりをしたり、人に聞いたりすることは避けたりする。

たしかに、聞けばなんでも応えてくれるような物知りは、なにも知らない人にくらべ

尊敬されそうだから、一生懸命いろんなことを勉強したりいろんな情報をあつめたり

してる人もいて、そんな人は自分の物知りを証明するこころよい機会をいつも待って

るわけなんだけど、ややもすると、物知りを鼻にかけて、ものを知らない人間をばか

にするような態度をしがちなもんで、そんな人にはあんまりなにか尋ねる人がいなく

なったりもするわけでなかなか難しい。

ま、そういった教えたがりの人は世の中たくさんいるもんで、なにか学ぼうと意欲が

あるのにあまり時間をとれない人なんかは、そういう人に聞くのが便利でいい方法だ

ろう、人によっては少々尊大だったりもするかも知れないけど、うれしそうにいろい

ろ教えてもらえ、人間関係も円滑に行くわけなのだから。

自分の内心からの正直な動機からの疑問や知りたい事の、それを知った時のおもしろ

さや喜びは、それを、ただ自分の物知りを誉めてもらおう、という動機のみで勉強し

た人より、深くこころにしみるはずなのだ。

本田宗一郎は、自分に学問がないことを自覚してて、どんな場所でもだれにでも、社

長なのに現場の労働者にも、気軽にものを尋ね教えを乞い、わからないことの多い自

分のその楽しさを語った。

そして、人のためになる車を作るという強い志は捨てず、真に独創的な低公害エンジ

ンの開発などの業績を上げ、結果的に全世界からの尊敬を集めた。





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