(ほめる、ってことについて)
五木寛之さんが瀬戸内寂聴さんとの対談で、ほめる、ってことの問題点を語っていて、
寂聴さんも対談最後にすばらしいお話を、ってお礼してた説が、なるほど、って思っ
たもんで、ご紹介すると、人はなにか立派なモノをほめることをとてもいいことだと
して、どんどんやってるわけだけど、そういった認識には、そうでないものへの批判
や否定が含まれるわけで、本来、存在するものに優劣はないはずで、どんなにちっぽ
けで劣ったように見えるモノでも、存在するだけで価値があるわけで、もちろん有能
でも勤勉な努力家でも美人でもいいんだけど、無能者だろうが、なまけものでも不美
人でもなんでもいいんだ、って。
たしかに、ほめられると人はうれしくなり、実力以上にがんばったり、努力しはじめ
たりで、その点だけにおいては悪いことはないわけだけど、じゃ、ほめてもほめられ
なくてもがんばらない人は存在する価値がないのか、って言うとそんなことはないん
だ、と、だから自分は立派でないモノをけなさないと同じ意味で立派なモノをほめる
こともしないんだと。
というわけで、これを読んだ人が、じゃ、私もこれからは一切モノをほめることはヤ
メにしよう、って考える必要はないんであって、ま、いってみればだれが見ても、立
派に見えてそう言われるのは当然だと感じてるモノをわざわざまたことさらいいモノ
だ、って風にほめることはない、ってぐらいに考え、それとは対極にあるような劣っ
て見えるモノの中にも自分の気がついてない未知の価値が潜んでいるんだ、って謙虚
に考えるのがいい、ってことなんだろう。
だから、とりあえず、存在するものに、いいモノわるいモノ、って安易に評価を与え、
わるいモノの存在を全面否定や排除する気になったら十分気をつけろ、ってことなん
だろう。みんなからつまらない劣ったモノのように思われているようなモノの中に、
まだだれもが気がついてなかった価値を発見し、それを飾らない言葉でほめるんであ
れば、それはいくらやったっていいんじゃないかと私は思う。
でも、忘れていけないのは、今ほめられていないモノたちの中にもまだ発見されてな
い価値があるかもしれないし、仮にどうしてもほめられる価値がみつからなかったモ
ノでも、やっぱりそれは存在するだけで価値があるんだ、って思うことなのだ。 |