7/6のしゅちょう             文は田島薫

(勉強より大事なことについて)

今朝の新聞見たら、便所で食事をする学生がいる、って話が出てて、これは、自

分もそうだって言う経験者によると、他人が見えるところでひとりぼっちで昼食

などしてると友だちがいない、って思われるからだ、そうだ。

どうも今の若者の大多数は友だちを求めてるのに、それがなかなか得られにくい

社会状況があり、そのことに悩む者がけっこう多いようなのだ。

友だちに嫌われまいと、常に本心を出さずにいたり、ちょっとした感情の行き違

いに異常に悩んだり。養老猛さんの本で、学生の科学的好奇心の交流を目的とし

た船旅の企画に参加した学生たちにその旅の探究テーマの提出をさせたら、星に

ついて、とか、海の生き物について、とか、気象について、などじゃなくて、一

番多かったのが、人間関係について、だったって。

そりゃそうだろう、子供のころから、すぐに勉強勉強、って親や社会が大騒ぎし

て、彼らの大部分の時間をそれに費やすように強制して、遊びや友だちづきあい

の機会を次々奪って来てるんだから。

勉強さえしてれば人間的に大丈夫、って考えてるかのように、親は子供が何に渇

望してるかなんか考えようともしないで、子供の方は仕方なしにそれに従ってれ

ば大人になってなんとかなるんだろう、って我慢するか、我慢しきれなかった子

供は感情を不安定に爆発させるか引きこもりになる。

そんな子供時代を過ごして来た若者やいい大人は、いつも良好な人間関係や友だ

ちを求めているが、それが成功してるのは、勉強の動機づけが十分で本心から好

きでやって来た者(これは、友だちがほとんどいなくても気にしない)か、状況

を見切って適当にドロップアウトして主体的に不良をした者かどっちかなのだ。

勉強ってものは、本来、世界や人間に対しての好奇心や愛情が動機になって初め

て力を発揮するものであって、それがぬけてるものはただの苦行なのだ。

子供の時に、その本来大事なものさえ獲得しておけば、勉強などはしてもしなく

ても人生においてどっちでもいい、って言えるぐらいのことなのだから、今、子

供たちは、異常なほどの本末転倒状況に置かれてて、真剣に救いを求めてるんだ、

ってことをもっと親は自覚しよう。




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