6/15のしゅちょう             文は田島薫

(タフ、ってことについて)

あの人は強い、だとか、タフだ、とか、ってだれでも人を語ることがあるけど、

その強さは、もちろん勝負の技術や身体の丈夫さや筋力や持久力のことを言う場

合もあるけど、それより負けない心といった精神力のことを指す場合が多い。

スポーツマン同士の実力が拮抗してる場合、ぎりぎりのせめぎ合いでの勝敗を決

めるのは怯んだりあきらめたりしない集中力といったものになるはずだし。

しかし、スポーツでの勝負のように相手がいる場合に双方ががんばるなら、どち

らかが負けることは仕方ないわけだけども、日常生活では自分自身の弱さとの戦

いといったことになるわけで、それならがんばっただけの効果はありそうだ。

実際、スポーツ選手にくらべたら見るからにひ弱そうに見える人物が逆境の中、

明るく元気いっぱい精力的に生活してるのを見ることもある。

しかし、どう考えても絶望的状況だろう、って思ったらなかなか人はがんばれる

もんじゃないだろうから、がんばれる人っていうのは、ふつうなら絶望的に見え

る状況をそのようには見てないはずなのだ。

そういう人は自分の経験の中で、知らずに少しづつ逆境を乗り越える訓練をして

来て、希望を持ってがんばればたいていのことは改善して行くのだ、って実感を

持っているのだろう。

現に、医者に見離された末期がん患者が、生命力を活性化させてがん細胞を駆逐

する、って妄想のような信念を持って日夜そういう療養所でマッサージや食養に

はげんで完治してしまった、って話や、安静にしてた方がいい、って医者の指示

に疑問を持ち、しんどい身体を引きづりながら病院の庭を毎日歩いたら回復して

った、って話や、先日のテレビでは認知症で食事も自分でできず言葉も出ない、

能面のような表情の老人が、回復は無理だろうと言われてたのが、試しに小学生

の勉強のような問答を楽しんでるうちに、できなかったことがどんどんできるよ

うになり輝く笑顔で毎日が楽しい、って言ったり。

けっきょく、もたらされた情報が絶望的なものでも、すべてが絶対のこと、って

ものはなく、もし自身の生命力についての強い信頼をもてれば奇跡だって起きる

し、そうしてがんばる、ってことは死ぬほど辛いことでもないようだし。

で、それを知ってて実行してる人、っていうのが、すなわち、タフな人ってこと

になるようなのだ。




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