きょうのしゅちょう             文は田島薫

(辺見庸の強さついて)

私も以前から注目してた辺見庸さんが久々にテレビに出てて、やっぱり感心したもん

でちょっとその感想めいた話で失礼を。

ジャーナリストであり作家でもある辺見庸さんは世界の疎外された地域の人々の暮ら

しを見聞きして来て、常にそういった最底辺の人々の側に身をおきながら社会状況に

対しても鋭い発言をし、権力に対しても正面からものを言う、現代日本じゃなかなか

見かけることの希な本物のダンディズムを持った男だ、ルックスもいい。

そんな彼は5年ほど前に、脳いっ血で倒れ半身不髄状態になった。言葉も手足の半分

もたどたどしくなり、懸命のリハビリの間に大腸癌まで併発してたらしい。

いくら反権力の有能な発言者でも、ふつうならここでめげちゃっても仕方ないかもし

れないとこだけど、彼はめげずにずっとリハビリしつつ、執筆も続けた。

中学教師の集まりで講演してる場面があったんだけど、ちょっと足ひきずりながら歩

いて来た彼の姿には、元々持ってた彼の内省的な雰囲気がなんだかよりグレードアッ

プしたかのようにかっこよく見えたし、話す言葉も、少しゆっくり噛み締めるように

しゃべるしゃべり方についてもまた同じように感じた。そこで、彼はやはり底辺の人

々の痛みを感じられるための「方法」について話した。

他の場面で階段を不自由な足で上りながら、5階まで毎日上って下りることをリハビ

リとして自分に荷してると話した。5年間続けてて、全然進歩しないんだけど、そう

いう進歩しないことを耐えて続ける、って生活は嫌いじゃないんだ、と言った。

自分の痛みを知った人間は他人の痛みも知ることができる、ってことはよく言われる

ことなんだけど、だれだってふつう自分の痛みや不幸が好きなはずはないのに、彼は

本気なのだ、自分の痛みの深い分だけ他人の痛みにより近づいた想像力を持ち得るか

らうれしいのだと言いたいのだ。自分の弱さと向き合い耐えることが、世界の弱者と

より繋がれる強さになるんだ、って確信があるのだ。

だから、辺見庸の足をひきずって歩く姿は、相変わらずダンディでかっこいい。




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