11/17のしゅちょう             文は田島薫

(人を嫌う、ってことについて)

人間関係での好き嫌い、ってことは日常的にだれでも経験してることで、自分がだ

れかを嫌ったり、だれかが自分を嫌ってるのを感じたり。自分がだれかを嫌ってる

時には、それの正当性を主張するくせに、逆に自分が嫌われてる時には、その正当

性をなかなか認めることができずに悩んだり、相手の方にその不当性の責任を押し

付けたり。私もそんな経験を若い頃からおもしろいテーマだなあ、って感じて、わ

ざわざ自分が嫌いな教師の授業を選択したり、自分を嫌う人間に近づいたりして、

その理由を考えたりしてたんだけど、それについて、哲学者の
中島 義道って人が書

いてるのを図書館で見つけ、共感したもんで、自分の意見もとりまぜて受け売りで

概略をご紹介、興味ある方は後で原書お読みください。


ま、主旨を簡単に言うと、人を愛しなさい、とか、みんな喧嘩なんかせずなかよく、

などということばかりを強調して、世間では、人を嫌う、ってことが罪悪のように

扱われているけど、そのためその正直な感情を無理矢理隠すことによって、より豊

かで自由な精神の解放が疎外されたり神経症になったりもするのだから、その嫌う、

って感情と正直に真面目につき合うのがいい、ってことだ。


人が人を嫌うってことにはたいてい理由があって、もし自分が嫌われた時にそれが

わかった時には、自分でそれを直すか、直せないことだったら嫌われてもしかたな

い、って合点が行くんだけど、どうしてもその理由がわからないこともあって、そ

の場合はなぜなんだろう、って考え続けたり、そういうこともあるんだ、って受け

入れることによって、人それぞれの在り方の違いを確認し、嫌う、嫌われる、って

ことについても普通のことと認識して行く。

嫌う、ってことや嫌われる、ってことを重大視すると、それが、正しいことと間違

ったこと、って問題と勘違いしたりして大騒ぎに発展させることもあるわけだから、

その嫌う、って感情は自然なことなんだ、って認め、そこから、学べるところは学

び、不可解な場合はその不可解について考えぬいたり、不可解も人間の多様性だ、

って味わったりするのがいいわけだ。




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