(チャレンジ精神について)
北京オリンピックで、男子のサッカーと野球、期待された結果は出せなかった。
どちらも手を抜いていたわけではなく選手は一生懸命やってたわけだけど、その
対戦国との差はなんだったんだろう、って考えると、まず、考えられるのは国民
やマスコミの期待に沿わなくては、ってプレッシャーの大きさで自分を見失う、
ってことがあるんだろう。
失敗を恐れるあまりコチコチに固くなっちゃう、これは個人個人を責めることは
できなくて、日本人全体の風潮なんじゃないかと思う。
日本人は「和」、ってものを大事にする国民だ、って言われる通り、ひとりだけ
目立つ行動は、なんとなく避ける傾向があり、企業や政治の世界や町内会のよう
な大小あらゆる場面で、いくらいい意見を持ってても、少しでも自分たちの利益
と抵触する場合など例え将来的な公共の利益になるとしても、ことなかれ主義で
みんなに反対されたり潰されたりするもんで、それを発表しにくい雰囲気だとか、
反対されるのを怖れる意識とか、後で結果に問題があった時、非難されるかも知
れない、って思う意識とか、とにかく目立つ行動をして後で自分で責任を取らな
ければならないような状況を極力避けようとする傾向。
例えば、サッカーでゴール前に自分でシュートできる位置にボールがあって、例
えば南米の選手ならすぐに蹴り込んでるだろうような時でも、それが、万全と思
えない限り、思わずそばにパスできる相手はいないか探してしまう傾向。
すでにペナルティエリアのすぐ手前にボールと一緒に来てて、ドリブルでひとり
かわして抜けられれば完全にゴールできる、って状況でも、万が一ボール取られ
たら、自分の責任になっちゃう、って横にパスできる味方いないか探し、パスし、
ほっとして、もう、ぼくの責任じゃないもんね、って顔する傾向。けっきょく、
相手に読まれた少し無理なパスになってけっきょくボールを取られてしまうよう
な形をしょっちゅうくり返す。
技術なしでがむしゃらに突撃すれば無駄なことだ、ってことはそうだけど、でき
る可能性がある技術を持ちながら、失敗を怖れてチャレンジしないならば海外パ
ワーにいつまでも勝てないだろう。政治の場合でも、そういう政治家ばかりじゃ、
有効な世界平和への貢献の達成や、敬意を受ける国になる道は遠いだろう。 |