8/9の主張 文は田島薫
(日中サッカー戦について)アジアカップの決勝の日中戦が北京であり、1,000人余の日本人サポーターと
日本チームイレブンが数万の中国人サポーターたち全員による敵対反応の嵐に
さらされ、テレビ中継を見たわれわれは、今さらながら、反日感情の実体を確認
した気にさせられた。
日中戦争時の恨みといった教育の結果ということももちろんあるだろうが、中国スポーツ紙などによる、最近のなんとか島領有問題とか、小泉首相の靖国神社
参拝に対する軽口の反日口調報道などが直接の扇動作用だったらしい。
彼らが街頭インタビューなどに答えているのを見ても、表情は冷静だし本気の憎しみ
をたたえたものには見えなかった。
国際スポーツ戦で自国を応援するあまり、対戦国に否定的な態度を取ることは基本的にはどこにでもあることだし、かつての日本のプロレス番組などでわれわれも
米国レスラーに罵声を浴びせていたもんだし。
少し過剰になっちゃっただけで、ルールにのっとったスポーツ上で、大いに自国を
応援し、大いに他国を批判することそのことは、健全な人の心のありようだろう。
けっきょく、さほど個人の意見表現が自由にできなかった社会主義国中国が、資本主義経済を一部取り入れだし、だんだん自由な表現が可能になって来た結果なのだ。
彼らは飢えた自由表現のはけ口として、スポーツ対戦の敵国日本を発見して、
内心大いに楽しんでいるのだ、と私は見た。
とは言うものの、日本が中国に対してやったことに対しては、しっかり自覚して、間違っても、そんな済んだことはもういいじゃないか、などと考えるべきではない。
真正面からの批判を、真正面から受け止めることができたら、初めて、それは
相互理解への第一歩になるはずなのだ。
だからわれわれ日本人は中国人のそういった反感行動に、過剰に逆切れするなど、もっての他で、むしろ、将来に向け突き付けられた建設的な問題提議なのだ、と、
ひとりひとりが受け止めようではないか。
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