8/16のしゅちょう
            文は田島薫

(想像力の訓練、について)


20年前の9.11、ニューヨークの世界貿易センタービルテロの後、米国議

会は犯行組織アルカイダとの関係を決めつけてアフガンやイラクへの武

力攻撃を決議した時、たった1人の有色人種議員だけが反対して、そ

の議員には全米から、死ね、だの、米国から出てけ、だのの脅迫が寄せ

られたそうなんだけど、20年経って、その議員が集会に参加してる時、

1人の大柄な白人がそばへ寄って来て、自分は20年前に脅迫を寄せた1

人なんだけど、きょうは、あなたに謝るところを子どもに見せたかった、

って言ったそうだ。

その白人もイラク戦争の経過を知るにつけ、その犠牲者の多さや、米国

政府のいい加減な情報に基づいた過った判断などが明るみに出て、感想

を変えたのだろうから、元々悪い人間ではなくて誤りをきちんと認める

能力を持った人だったんだろう。

ところが、当時は双方に数10万人の犠牲(例によって米国側のそれは相

手国のそれよりその桁が少ないとしても)やイラク国土の破壊、後に派

生したイスラム国といった過激武装組織の発生を招いたり、ってような

ひどい結末になることは想像できてなかったのだろう。

たいてい、こういった案件で武力行動が始る時もまた、自国に都合のい

い希望的観測で始るのであって、仮に多少のそういった予測ができた者

でも、自分の身にかかわらなければ、多少の命の犠牲はよしとして、例

えば、石油資本などは利益を上げてたりもしてるようで、そういった政

権発の報道に一般庶民の大部分は簡単にだまされてしまうのだ。

それでも少数の良識ある人々は反対の声を上げたのだけど、想像力欠如

した大多数は流されるままになってしまうわけなんだから、一般庶民と

いえども、個々が自分の頭で考えたり想像したりして、そういった政治

の暴走を止めるのがいいのだ。

じゃ、そういうことにして、きょうから想像力を使うことにしよう、っ

て庶民のだれかが思って、急にそれをやれるかと言えば、難しいところ

があるのは、物質消費社会の現代では、より高級な家や物を手に入れる

ことに価値がある、って教育を子どもの頃からさせていて、他人よりも

できるだけいい学校に入って、いい会社に入って、出世することがいい

こととばかりにやみくもの競争ばっかりやらせ、じっくりものを考えた

り色々な立場の人たちの状況や都合などを想像できるようになる訓連が

されてないので、高学歴の者でも、というか、ほど、というか、そうい

うコースと外れて貧しい暮らしをしてる者は軽蔑の対象といった、表面

的な判断しかできなくなるのだから、想像力のない者は、よっぽどの自

覚を持ってその訓練を始めるのがいいのだ。


正確には2001年テロ支援国への武力攻撃を決議、アフガン攻撃の後
 2003年膨大な犠牲を出したイラク攻撃


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