5/10のしゅちょう 文は田島薫
(旅、について)
旅、って言葉を聞くと、たいていの人々は遠くを見るような目をして、あこ
がれるような気分になるのはなぜだろう、って考えると、多分やらなくちゃ
ならない仕事や用事や諸々の悩みを抱えてる日常生活から離れて、自由な気
分を味わえるはずだ、って期待感が多いせいだろう。
私も若い頃は、そんな気分でささやかな一人旅をいくつかしたもんだったん
だけど、そうすると、自由ってものの心細さや不安や孤独感、ってものも実
感するし、旅先ですぐに他の旅人たちと気楽に会話しあったりしてる人を見
ても、私はそれがなかなかできないし、それをわざわざやって日常生活の延
長のようになるのもおもしろくない、って感じてた。
それで、私にとっての旅は非日常的環境での孤独を満喫した、ってことで、
一旦終わった気分だったんだけど、旅についてまだ本当のよさをわかってな
いのかもしれないと感じて、著名な旅人たちの本を読んだり話を聞いたりし
てると、旅先での現地の人々や生活との触れあいを実体験することのようだ、
ってことがわかったんだけど、がむしゃらの貧乏旅でどんどん現地の人々な
どに接触して行くタイプには向いてて、私には不向きだったにしても、その
チャレンジは可能だった若い頃にくらべ、食べ物の好き嫌いも多く、健康維
持に慎重な今はそんな旅はできそうもないんで、体力的にも余裕を持ったス
ケジュールの旅をしたい、ってことになって、細々とした準備に思いを巡ら
すと、なんだか、面倒な気分になってしまうのだ。
そうなると、旅、って言葉は、私にとってはなかなか現実味のないロマンチ
ックな夢のようなものになちゃってるのかもしれないんだけど、それでも、
自分の暮す世界と違う世界の人々や生活と平常心で関わっていろいろな刺激
を受けたり考えたりする旅へのあこがれはある。
でも、私が他の人より実際はさほど旅の実行に積極的になれないのは、多分
自由な気分で読み聞きしたり、想像したり考えたり、書いたり描いたりもし
てる自分の日常生活だけで満足してるせいじゃないかと思う。
で、旅が十全にすばらしいもので、旅をすればそれだけで環境は非日常にな
るとしたら、多くの旅好きが旅に本を携帯するのはなぜなのか、って言えば、
非日常感をより深めるのは読書だし、出逢う人々についての深い理解も読書
ぬきでは難しいからなんじゃないか、って思うのだ。
それに、多分、読書だけでも、充分に旅そのものなのだ。