4/15のしゅちょう 文は田島薫
(上野千鶴子さんの祝辞、について)
東大入学式で同大名誉教授の上野千鶴子さんが述べた祝辞が評判になり各メディア
でも取り上げられ共感の輪が広がっている模様で、私も手放しで賛同したい。
日本一の頭脳レベルということになってる東大に入れた新入生たちに「社会にはあ
からさまな性差別が横行している。東大も残念ながら、例外ではない」、って他大
学でも男子の合格率が高いことや、東大でも女子入学者の比率が2割の壁を超えな
いことや4年制大学への進学率の男女差や、教授や部長に占める女性の割合がひと
桁%の例や、女子東大生の肩身の狭さなどを例に上げた。さらに、「世の中には、
頑張っても報われない人や頑張ろうにも頑張れない人がいる。頑張っても公正に報
われない社会が待っていて、君たちのように頑張ったら報われると思えることが、
恵まれた環境のおかげだったことを忘れないでほしい。恵まれた環境と能力を自分
が勝ち抜くためだけに使わず恵まれない人々を助けるために使ってほしい」って。
この祝辞のダイジェストを実はきょうのお昼のバラエティ番組テレビで見て、感心
したんだけど、同席のタレントや、インタビューされた東大女子学生から、一部、
批判的感想が出てて、それは、例えば、目出たい入学式の祝辞に新入生の高揚して
る気分の足を引張るような気がする、ってのや、女子の大学などへの進学率につい
ては女子自身が家庭に入ることが好きでそれを望まない層が多い、ってのや、結局
東大などに入れるのは勉学の意志の強さだ、ってようなのが。
ところが、こういった感想は結局、一般人が陥り勝ちな既成概念の妄信でしかない
んであって、日本的事なかれ主義にも共通するような主体的思考力の欠如なのだ。
だって、これから最高学府で学ぼうという若者が、社会と自身の立場を確認し、よ
り世界に貢献する意義を伝えるものだったのだから、これを聞いてより向学意欲が
喚起される方が私には自然に感じられるんだけど。
また、女子の家庭に入りたがる傾向についてだって、それをすることが当然といっ
た社会環境の中で、それに逆らえばいろいろな抵抗に合う現実があるのだから。
また、東大だって頭脳と意志があればだれだって苦学して猛勉強すれば入れないこ
とはないんだ、などと考え勝ちだけど、壮絶な苦労でそれを成し遂げる一握りの天
才はいるかもしれないけど、大部分は、自分は苦学した、って言ったとしても知ら
ずに親からそこそこの援助をもらってたりするもんで、そんな親もいず、極貧で病
人の家族を養ってるってような者に苦学してやれ、って言うのは無理なのであって、
程度の差こそあれ、そういった不遇の人々の存在には、受験勉強になんとか頑張る
ことができる環境にいる者には、なかなか気づきにくいもんなのだ。