●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、亡き父上からのメッセージを感じたようです。
おもと
万年青
大寒のこの時期、暖かい日差しが恋しい。
寒晴れの日、隣の猫が我が家の庭の一角に繁茂する万年青の傍で日向ぼっこをしていた。
そっと近づいて猫の背をなでると、柔らかな毛におおわれた体はすっかりあたたまって
いて、ほっこり気持ちの良い感触だった。
しゃがんで一緒にしばらく日向ぼっこしながら、普段は見もしない万年青をしげしげと
眺めると、ごわごわとした濃い緑の葉っぱがぐいぐいと左右に広がり力強い。まるで野
武士のような風格だ。
そして、そのごつい葉の根元に、なんと、赤いルビーのような実を5〜6個つけている
ではないか。
この冬枯れの時期に実をつけるなんて、なんとけなげな…。
この地味な植物が、江戸時代から金のなる木として投機の対象になったというのも、そ
の生命力みなぎる常緑の葉と実をつけるたくましさからであろう。
鉢植えにしてもっと手入れをすれば、価値があがったであろうに私は増えていく万年青
を単に雑草隠しとして重宝したのであった。
思えば、この万年青は今は亡き父が植えたものである。
この家を建てたとき、出不精の父が我が家の庭づくりのためにわざわざやってきて、せ
っせと万年青を植え、石屋を呼んで、庭石を置いたのだった。
風流な日本庭園をこよなく愛して、庭いじりが大好きだった父。
草花よりも渋い万年青を選んだのはいかにも父らしい。
我が家の庭は、腕を振るうにはあまりにも狭かったが、体力も落ちた晩年の父にとって、
娘の一世一代のマイホームに自分の形見を残したかったのだろう。
昔、ずいぶん父に反発をした私だったが、最近、だんだん父を理解するようになり、知
らぬ間に父と同じことをしている自分に愕然とすることが多いのだ。