3/21のしゅちょう 文は田島薫
(私の理想的な余生の過ごし方、について)
同世代やもっと若い知人や知名人などでぼちぼち死ぬ者が出てくるの見てると、自分では
100才ぐらいまで生きるつもりでいても、思い通りに行かないかもしれないわけで、だっ
たらいつ死んでも悔いのない生活をしたいもんだ、ってだれでも感じるだろう。
それでも扶養家族がいたりして日々の糧を得るために不本意にでも長時間労働やってる者
なら、そんな悠長なぜいたくを考えてる暇はないぜ、って一括されるんだろうけど。
若い時は私でも、がむしゃらにとにかく仕事に励むのが一番大事だ、ってどっかで信じて
て安収入にもめげず徹夜なんかも普通にやってたこともあったんで、そういった時間もそ
の時なりの貴重な学習の意味もあったような気もするし、充実感さえ感じてたんだけど、
いつも、これは自分の理想の生活の形ではない、もっと別なすばらしい生活の仕方がある
んじゃないか、って感じ続けていながらも、新しい展開アイデアも出せず、安易に現状の
仕事環境に甘んじてやっぱり色々な経費をかせぐための時間を消費していたのだ。
それでも、事務所などを一等地に移したり従業員をふやして大きくしたい、とは一度も思
ったことはなくて、できるだけ小規模に出費も最小限にして働く時間も最小限にして、ゆ
っくり考えたり好きなものを追求する時間を作りたいと思った。
それなら自分の好きなことを徹底してそれを仕事に励めば働く時間が長くても趣味と実益
が一致して一番いいんじゃないか、って感想ももらいそうだけど、どうも、私の始めちゃ
った商業広告デザイン、ってもんにそれほど自分の気持が乗らないことが後にわかってき
たのだ。それなら、画家にでもなるか?ってほどの強い描写意欲もない、それより音楽家
の方に気持が動くけど、じゃ、それで食えるか、って自信は全くない。毎日ギター弾いた
り、10余曲ほど自分でもいいんじゃないか、って感じる歌を創作してても、技術的にはま
だだし、いつまでたってもアマチュアの甘さに甘んじ、それを楽だと感じてるだけだ。
そんなこと言いながらも、時間はどんどん過ぎて行くわけで、他人の思惑やら、空しく感
じるだけの事柄に関わる時間をどんどん省いて、私の場合は仕事を成し遂げる、って力み
より、他人に評価されなくても、ただの自己満足だと言われても、ずいぶん貧乏たらしー
生活してるねあの人、って言われても、とりあえず絵でも音楽でも自分が納得するものを
感じたり創ったり考えたりする時間を大事にしようと思うのだ。
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