思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、過酷な旅から帰還のようです、エピソードその25。





モロッコへいってきた

バスの窓から「エル・ジャディーラ」





6時15分、きのうにひきつづき電話が故障ということでHさんが起こしにきた。人間モーニン

グコールだ。この話どうもおかしい。これだけのホテルで二日つづけて故障とは。ほかの業務に

もさしさわりがあるだろうに。もしかするとホテルのオーナーが敬虔なイスラム教徒であるとい

うことだから、ラマダン中はモーニングコールをやってくれないのではないだろうか。

夕べとおなじ庭をぬける近道をして朝食のレストランにむかう。このコースは豪華な装飾の廊下

とはうって変わって業務用の通路のようなところを通り抜けるのではじめは勇気がいった。朝の

中庭は気持ちが良い。アトラス山脈を越え北側にきたのでいくらか涼しくなったようだ。レスト

ランのテラスに出て、プールをかこむ中庭をながめながらの朝食はわすれられないものになった。


今日は、旧ポルトガルの要塞都市エル・ジャディーラを見物してカサブランカに向かう。マラケ

シュをはなれるとバクバクとした農地がつづく。そのむこうに小山がつらなって見えるのは燐鉱

山の残土の山だ。燐鉱石はモロッコの重要な地下資源であり世界中に輸出されている。このあた

りは灌漑設備が充実しているせいか、山脈の南側の畑より緑が多い。

トイレタイムになって、ガソリンスタンドに乗りいれた。街道筋にあるスタンドのほとんどには

コンビニのようなものがあって、みやげ物などを売っていたがここには小さな売店しかない。と

ころがトイレに入っておどろいた。広いうえに全面モザイクタイルが貼ってあり、洗面台は大理

石というホテルなみの豪華さ。これでチップなしでは申し訳ないようだった。

外に出ても見えるものは土砂漠ばかり。ぼんやりと車のながれを見ていると売店のまえでOさん

が呼んでいる。近くに行くと両手にアイスキャンディーを持って、ひとつずつどうぞという。

「どうしたんですか」と聞くと、「冷たいものでもと思って店に入るとこれがあったんで、値段

を聞くと安いのでみなさんにごちそうします」という。店をのぞくと大口のお客さんにあわてた

主人がニコニコしていた。Oさんはいかにもお金持ちという風采の人なので遠慮なく頂戴するこ

とにした。あとでそばにいた人に聞いたらなんと一個1ディルハム(日本円で12円)だったそ

うだ。バスの中、全員がアイスキャンディーをしゃぶっているという異様な光景を乗せてバスは

走り出した。

エル・デジージャはすぐだった。ここは1502〜1769年のあいだ支配していたポルトガル

が造った要塞都市でユネスコの世界遺産に登録されている。現在は海岸にある要塞の後ろ側に新

市街が広がっている。地中海をはさんでモロッコ、スペイン、ポルトガルは、昔からとったりと

られたりしてきたのでこの三国にはお互いの文化がまざっている。高さ20メートルを超す頑強

な城壁のトンネルをくぐると狭い道をはさんで3、4階建ての石造りの建物が密集している。城

壁の中には教会、学校、浴場と地下貯水槽があり、独立した都市をなしている。しかし、商店は

城壁外のスークに移ってしまい、みやげ物屋が2,3軒あるだけだ。現在でも3000人ちかい

人が住んでいるそうだが静まり返った街にはその気配はない。正方形の形をした城壁の上は遊歩

道になっている。海の方のながめは素晴らしいが反対側には住民の洗濯物越しに新市街とユダヤ

墓地があるだけだ。遊歩道を一周して入り口の門のそばに下りるはずだったが、扉に鍵がかかっ

ていて出られない。また、城壁を一周してもどるというおまけがついて要塞見物はおわった。海

岸沿いの新市街はポルトガルの名残を残し、白い建物にヤシの並木がつづいている。

5分ほど走って海岸沿いにあるレストランに着いた。魚料理の昼食のあとしばしの自由行動。目

の前の浜に出ると視界いっぱいに真っ青な大西洋がひろがっている。砂漠ばかり見てきた眼には

新鮮に感じる景色だ。砂浜では子どもたちが遊んでいる。海をバックに写真を撮ったら3人連れ

の男が近づいてきた。断りなく子どもたちの写真を撮ったので怒られるのかと思っていたら「ど

こから来たのか」とフレンドリーに話しかけてきた。いちおう「子どもさんの写真を写して申し

わけない」というと「自分たちの子供ではない」というので一安心。ここちよい潮風にふかれな

がら二度と見ることがないであろう大西洋をしっかりと目にやきつけて再び車上の人となった。

さあ、これから最後の目的地カサブランカだ。


戻る