終戦
きょうは終戦の日。
終戦記念日というなら70回になるのだろうか。
この、終戦という言葉はおかしなものである。「終戦」文字どおりに解釈すれば戦が終わっ
たことをさす。しかし、これだけでは戦に勝ったので戦いをやめる終戦なのか、戦いに負け
た終戦なのかわからない。このことをはっきりしないから戦後71年たっても戦争に負けた
のだ、いや、戦いをやめただけだという輩との争いがたえない。
1945年8月15日は、連合国より降伏せよという内容のポツダム宣言をうけいれ、それ
をもとに昭和天皇がポツダム宣言受け入れを表明した日である。玉音放送とよばれる天皇の
言葉には「戦況が芳しくなくこのままでは日本が滅びてしまうので共同宣言(ポツダム宣言)
を受け入れた。全将兵は戦をやめよ」という意味の言葉があるだけでどこを探しても「負け」
という言葉はでてこない。
国際的慣習でいえば、戦いに負けた方が降伏文書に署名をしたとき戦争がおわる。もちろん
負けた国にとっては敗戦の日であり、敗戦国となる日でもある。
日本にもこの敗戦の日はある。1945年9月2日正式に降伏文書に署名した。ところが、
戦後70年日本から「1945年9月2日」と「敗戦」という言葉が消えてしまった。敗戦
という言葉は悲惨な実体験をもつ国民のあいだにはあるが政府は重きをおかない。いまだに
このような姿勢を崩さないから近隣諸国との真の和解が成立しないのだ。9月2日を敗戦記
念日として、敗戦ということを真摯にうけとめて再出発したならいまのようにおかしな日本
にはならなかっただろう。なにも敗戦国としていじけた姿勢をとれというのではない。敗戦
にともなう国際条約を履行したあとは、どうどうと胸を張って祖国再建にあたればよかった
のだ。 |