●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんの花林糖の思い出。
花林糖(8月17日号“スイカの匂い”に続いて)
ある日の夕食後、自分たちの部屋に集まって花林糖をつまみながら、長姉が愚痴めいた
ようすで口を開いた。
「この間の話ね、オオモリさんはとてもいい人だけど、ちょっとまだその気になれない
の。だってあたし、憧れのデパートにようやく就職したばかりだもの」
先日の親からいわれた縁談話に姉は悩んでいるらしかった。
足を投げ出している。デパート店員は一日中立っているので、足がだるくむくんでしま
うのだとよくこぼしていた。
私は上目遣いに姉の顔を見ながら花林糖に手を伸ばす。
花林糖は私の大好物。少しねじれたようなゴツゴツとした小麦粉の塊を黒糖で包み、油
で揚げてあるので、その独特のコクと風味は後をひくおいしさでたまらない。
次姉もカリカリと小気味のいい音を立てて花林糖をかみ砕きながら
「オオモリさんはあまり覇気はないけど、堅い人だと思う。楽かもよ」
あまり親身な様子でもなく、さらっと言った。
「でも、急にいわれてもね。まだあたしは若いし、これから世間を見ていろんな人との
つきあいが始まる時期だと思うし…」
長姉は黒光りする花林糖一個を指先でつまみ、小さく前歯で噛んでじっくり味わうよう
に食べた。
印刷屋の跡継ぎとして婿取りをすすめる両親に、揺れる心を持て余しているようだった。
その時代は結婚適齢期なるものがあって、22歳は十分な年齢なのだが、本人の気持ち
はそれほど成熟せずに中途半端なのであった。
相談されたって妹たちだって答えようがなかった。
次姉が男のように腕を組むと、ちょっと達観したような老成したような雰囲気を漂わせ
ながら、
「デパートの食品売り場なんて女ばかりの職場じゃない。これからすてきな男の人との
出会いがあるかどうかなんてわからないわよ」
と冷たく言った。
「そういうことじゃなくて、せっかく勤め始めたばかりなのにこのまますぐ家に引っ込
んじゃうのをためらっているのよ」
長姉はじれったそうに言う。
「お姉ちゃんはこのウチを継ぐんでしょ?」
私がきょとんとしたように聞くと、
「そう。だから悩んでいるわけ…」
姉は妹たちへの相談をあきらめたように小さく答えた。
しばらく花林糖の噛む音やお茶をズズーと飲む音が続いた。