8/3のしゅちょう 文は田島薫
(コミュニケーションの幹について)
吉本隆明が、コミュニケーションの幹は沈黙だ、って言ったようなんだけど、それを知っ
てすぐに、なるほど、って合点することが次々思い当って、先日もそれを象徴するような
情景をテレビで観て感じ入ったんでご紹介。
そう言って書き始めると、読む方はなんだかすごい話を期待しそうだけど、どこにでもだ
れにでも思い当たりそうな他愛ない話なんで、肩すかしのご覚悟でよろしく。
露地で小さなアンティックアクセサリーショップを営み毎日小型の愛犬を連れて出勤して
る中年の男、8年前だったか妻と別れることになりつらい日々を送っていた時、その愛犬
はずっとそばにいて、落ち込んだ彼のことを見上げていた、んだって。
で、今はすっかり元気になり、寄り添う愛犬のそばでソファーに座ってるだけで幸せを感
じているんだ、って。
沈黙は金、って言う言葉があるけど、きっとこういうことを言うのだろう。愛する恋人同
士の場合も同じだろう、愛に言葉はいらない、ってことなのだ。
心に愛があれば、言葉は却って邪魔なのだ。自分の心を十分に伝えようと多くの言葉で説
明しようとすればするほど、伝わる心が薄まって来てしまったり、どんどん大げさな表現
になったあげく嘘っぽくなったり、誤解されるような余計なことをつい言って、しまいに
は喧嘩になってしまったり。
ま、動物の場合は人間に言葉で表現しようにもできないわけだから、当たり前なんだけど、
却って心が正直にそのまま伝えられる、ってわけなのだ。
だから、人も絶対の信頼といったもんを動物から学べるといいのだろう。
とは言っても、人間社会、単純にどんな相手にも疑いを持たずに接してたら大変なめに遭
う確率も高いわけだから一概にそれで結論にすることはできないのだけど。
例えば、人に何かの感謝を感じた時のぐ、っと泣きたくなるような気持ちは、ありがとう
の言葉を連発するより、黙って気持ちを自分で感受して、目を見合うだけで深く伝わるは
ずなんだけど、それは相手にもそういう感受性がいるんで、見過ごして誤解しあうことも
ありそうだけど、世間にはそういった不器用に本気のコミュニケーションをしている人は
確実にいて、情報時代の雄弁さに慣れたわれわれに大切なものを教えているのだ。
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