思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
センセー、議事堂まででかけて感慨してます。




写してもいいですか?




何語だかわからない「積極的平和主義」なるものを推進する法律案が参議院にまわり、

いよいよ大詰めをむかえた。何語だかわからないと書いたが、英語でもどう訳すかあて

はまる言葉がなくてこまっているそうだ。日本語だといわれてもその意味するところを

正確にわかる人はすくない。文科省が教える日本語でないことはたしかである。国語学

者に聞いたら日本語になってないと言うだろう。しかし政治家は「言葉は学者が決める

ものではない、政治家が決めるのだ」と言うにちがいない。


安保関連法案に反対する若者たちが国会周辺でデモをしていると知って、60年安保の

老兵はどんな具合かと見にいった。

平日の昼下がり国会議事堂前駅を出てみると国会周辺は静まり返っていた。そうだろう

この炎天下にデモをしたら熱射病でまいってしまう。おそらくデモは夕方からなのだろ

うと勝手に納得して正門の方へ歩き出した。議事堂の敷地をかこむ高さ3mほどの金属

製のフェンスに沿って歩いていると、55年前の景色がよみがえった。このあたり一面

はデモ隊で埋めつくされ、議事堂南門を塞ぐ白く塗られた機動隊のトラックにロープを

かけて引き出そうとする学生と機動隊の攻防戦がくりひろげられていた。やがて多勢に

無勢、引き出されたトラックのすきまからデモ隊が議事堂敷地内になだれこんだ。その

ころは今のような高いフェンスもなくまたいで入れるくらいの柵しかなかった。デモ隊

の勢いにのまれ、警備が手薄になったとこから柵をのりこえて敷地内に入った。


そんな白昼夢をみていると警備の機動隊員に「こんにちは」と声をかけられた。何も知

らなければ平和な光景だがこれは一種の職務質問だ。そのときのこちらのそぶりで怪し

いものかどうか検討がつく。かれらはプロなのだ。「ごくろうさん」と返事をして正門

の方へ歩いて行った。正門を警備する機動隊員のちかくに立って、あの時はこのあたり

一面はデモ隊でうまりアジ演説が飛び交っていた…、と感慨にふけりながらすっかり様

子がかわった景色を見まわしていた。すると観光客らしいカメラをもった若い女性が機

動隊員に近寄り「あの、写真を写してもいいですか」と議事堂を指さした。聞かれた機

動隊員はにこやかに「どうぞ、どうぞ。あの金具がでっぱったところが正面ですから」

と答えた。彼女は厳重に警備された議事堂をみて、写真を写したらおこられると思った

らしい。


73年前、この国会内では戦時時限立法についてこんな質疑応答がおこなわれていた。

「戦時中の意味を伺いたい。首相の言う戦時中とは、宣戦の御詔勅を受けてから、講和

談判ができて、条約が御批准になったときに終わるのか」と問われた東條首相は「平和

回復、それが戦時のおわりです」と答えた。「戦時」についてさらに意味を問われると

答えは曖昧になり、答弁に窮することもあったという。また、戦況が悪化してくると東

條首相は「戦争が終わるということは、戦いが終わった時のことで、それはわれわれが

勝つということだ。そして、われわれの国が戦争に勝つということは、結局われわれが

負けない、ということである」とわけのわからないことを言っている。現在安保関連法

案について答弁する安倍首相の姿は東條首相の姿とはうりふたつではないか。いつの時

代であっても自信のない政策について政治家はこのような曖昧なことしか言えないのだ

ろう。

安倍内閣は、意に沿わない報道をするマスコミに対して許認可権をたてにとって脅しを

かけた。これは昭和16年に発布された「言論出版集会結社等臨時取締法」の再来では

ないか。

安定性を欠く安倍内閣はますます独りよがりとなり、民意からかけはなれていく。国民

の財産である国会議事堂の写真を写すのに「写してもいいですか?」と聞かなければな

らないような時代にしてはいけない。


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