思いつくまま、気の向くまま
  文と写真は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
江戸文化をもっと尊重する政治を、センセーは望んでるようです。



またひとつ、東京が消える




13日、築地にある「波除稲荷大明神」の大祭にいってきた。

千貫神輿と巨大な獅子頭の巡行で有名な東京の祭りだ。浅草の三社祭のように観光化さ

れていないので地元の祭りの風情をのこしている。


この神社は、江戸の昔このあたりの埋め立て工事がさかんなころ、なんど堤防を築いて

も荒波で流されてしまう。お台場が出来ない頃は内海であっても波が荒かったのだろう。

あるとき海面を漂う、光り輝く「稲荷大明神」のご神体をみつけた。どうもご神体とか

ご本尊というものは海や川を漂うものらしい。

そのご神体を現在地に祀ったところ荒波はぴたりとおさまり埋め立て工事は無事完了し

た。そこで、御神徳のあらたかさに稲荷大明神に「波除」の尊称を奉り「波除稲荷大明

神」となった。魚河岸が日本橋から築地に移って氏子となってから威勢のいい担ぎ手が

くわわりより盛大なお祭りになった。

祭りの最中、友人にメールで写真を送ったところ「築地の半纏は「波」の字なんだ。粋

だね〜」と返ってきた。この「粋」は粋無粋の粋とはちがう鯔背の粋を感じたのだろう。

こういう気の合った感性をもつ友人がいると祭り気分も盛り上がるというものだ。


残念なことに一都知事の時勢の読み違えで数々の問題を背負いながら魚河岸が移転する

ことになった。

そのあおりで千貫神輿と巨大な獅子頭が魚河岸の構内を巡行するのは今年が最後になっ

てしまった。

市場がもつ独特の荒っぽい景色と、まだバラック建築がところどころに残る場外市場を

練り歩く千貫神輿と巨大な獅子頭はもう二度とみられない。

魚河岸には、佃島の漁師が家康につれてこられたとき故郷からもってきた水神社がある。

祭りの日はべつなのだが築地最後の祭りということで、これも巨きくりっぱな神輿が巡

行にくわわった。聞くと二基の神輿が同行することは最初で最後のことだそうだ。予期

しないものが見られたのもご利益かな。

いまのところ神社の移転は聞いていないので、祭りは絶えることはないだろうが再開発

されたビルの谷間を行く祭りの列は風情とは縁のないものになるだろう。

またひとつ東京が消えていく…


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