12/30のしゅちょう             文は田島薫

うつ病の治し方について

私の家人は2005年にうつ病の診断を受け長期病欠から、その翌年休職になり、その夏、

私との同居を始めたんだけど、それから一進一退はあったものの、大体は寝てる時間が

ほとんどの、後で考えると、当人にとって、出口の見えないトンネルの中にいるような

長くて辛い絶望的な気分の毎日を送っていたのはたしかな事だった。

それが、2012年の暮あたりから回復気配を示し、今年になり、どんどん回復、今現在は、

私が知ってる家人の体力の絶好調、なんの問題もない、ってぐらいに完治の模様。

うつ病とひとことで言っても、その状態は人それぞれだから、だれにでも家人の話がそ

のままあてはまるわけにはいかないだろうけど、基本的な共通の部分も多いはずと考え、

うつ病になる人がけっこう多いらしい世の中、少しでもそんな人々の参考になるんじゃ

ないか、って家人自らが勧めるもんで、年の暮れもあるし、その総括をしてみたい。

家人の「発病」のきっかけは、職場の「栄転」だった。

それまで勤める出版社の編集部の雑務的下働きを何十年もやってきて、それについての

仕事の進行には安定と自信を感じてたんだけど、それが、社内事情もあってか、より責

任のあるポストに任じられた。一方、生真面目で完璧主義的な家人は当時、日常生活を

手をぬかない時間をかける方法でしていた。そこへこのふたつを同時進行しなくてはな

らない状況になり、思うように進まない仕事を焦りの中で残業した後、帰宅後、睡眠時

間を削ってそれをする日々を送ってるうちに突然の無力感に陥ったのだ。

精神的ストレスの蓄積に肉体的疲労の限界がかさなり無力感に、って、これは、どう考

えても当たり前のことで、だれだってこんな状況ならそうなるだろう。

それを、仕事がなかなか進まないのは自分の能力がないせいだ、って、勘違いしてしま

い、強迫観念と体力低下の悪循環で、その観念を強化してしまったのだ、そこへ持って

きて、診療内科で、あなたはうつ病です、ってフォローぬきの唐突宣言されちゃう悲劇。

診療内科は今や大はやりでどこも患者がいっぱいなもんで、先生も時間がないから、よ

く患者の話も聞かないうちに、気分が落ち込むんならこの薬を、ってすぐ薬を出す。

自分はうつ病なんだ、病気なんだ、って自覚が出て、薬もきめられた時間に毎日飲んで

るうちに、今まで活動的だったはずの生活のリズムが変わって来る。

ストレスの多い極端に忙しすぎる生活を一旦止めてひと休みする、って意味ではとても

いい治療のはずなんだけど、同時に落とし穴もある、ってことなのだ。

一番大事なのは、健康的な無理のない生活リズムをなるべく早く取り戻す、ってことの

わけで、薬は必ず一時的、補助的なものと考え、出す方ももっと慎重にすべきだし、そ

れより、その発病原因の筋道と、無力感の根拠を患者に納得させることと、具体的な生

活リズム改善プログラムを提供することのはずなのだ。

原理は簡単で、カウンセリングの本も何10冊か読み、患者がその仕組みの理解と自覚

を持てればすぐにでも治るもんだ、って私は確信してるんだけど、結局は患者当人が自

分でその意志を待たない限り、そばで、こうした方がいいああした方がいい、って言っ

てもだめなのだ。ところが、その患者当人は、薬を飲み続けることによって副作用の倦

怠感などをずっと引きずって行くことになるわけで、純粋に生理的健康管理や運動の重

要性が増すのに、当人も頭で理解してもその意志を出すのは至難のわざになる矛盾。

家人の場合は、家へ遊びに来た友人にはその辛さはあまりわからなかったろう、ってと

こは、実際、家人はその交流を喜んでいて疲れを忘れていた、ってことと、けっこうが

んばってたことも事実で、風呂に入れないとか、近所のスーパーに買い物にも行けない、

とか、ひとりで留守番が1時間もできない、って状態が去年までの基本生活だったのだ。

それでも、私の両親のあいつぐ発病で茨城に行く時は、そのストレスが大変で、例外の

時期以外電車は使えず、やっとのドアからドアの車移動したんだけど、寝たり起きたり

しながらも、両親の面倒をいろいろがんばり、そのうち薬が切れ、そのまま飲まずに、

1〜2年過ごし、薬が抜けたせいだろう漢方をひとつ飲みはじめたらこれがよく効いた。

今は、当時の倦怠感がうそだったような気分で、その気力充実や爽快感は、なんだか生

まれ変わったかのようだ、って。




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