1/10のしゅちょう             文は田島薫

自己判断の力について)

われわれはふだんの生活の中でしらずに日夜絶えることのない様々な判断をして

るわけだけど、全く経験のない事について常に自分の頭で考えて判断することは

容易なことではないはずで、そんな場合は、さて、どうした方がいいんだろうか、

って迷うことも多いはずなのだ。そんな時は、先輩たちのやり方が非常に参考に

なるわけで、相談してアドバイスを受けたり、前例を学んだりする。そういった

一般的前例集のようなものが礼儀やしきたり、ってことになるわけで、長年の先

輩たちの試行錯誤の成果がまとめられてるということで、これに沿って行動をす

ればほぼ間違いはないわけで、後輩が余計な苦労をしないようにとの先輩からの

思い遣り、って面があるのだろう。

で、じゃ、その礼儀やしきたり、前例といったものにだけ従って行けばいいだろ

う、って考えれば楽だろうけど、それじゃ、後輩には生きて次の社会をよりよい

ものにしていく、ってチャンスはなくなってしまうだろう。

どんな、しきたり、慣習といったものも、それぞれの時代の情況を反映したもの

であって、時代環境が変われば、それに連れて行動の仕方やしきたりも変わって

行くのが自然なのだ。

そういう切り変わってゆく時代に必要になるのは、個々人の持つ直感や判断力で、

いままでの慣例でみんながそれに従ってるんだけど、なんだかちょっと異和感が

ある、って感想は大事なのだ。

たいていは、自分の頭でものごとを感じ考える習慣のある者が最初にそれを感じ

て、その旨を発表すると、これまたたいていは、自分の頭で感じ考える習慣のな

い大多数が、長年行われていたことを変えることに反対する。その理由は、行動

様式を変えてしまえば、今われわれが想像できない新たな不都合が生じる可能性

があるんだから、波風立たない方がいい、めんどうはごめんだ、ってようなこと

になる。

そういった大多数の考えは、仲間の大多数が同じ行動様式をしてれば安心、って

ことで、最悪全員が不都合なことになっても、自分だけ馬鹿に見えないから安心、

ってような群集心理のようだ。とにかく、自分個人の判断で問題が起きた時のリ

スクより、あんまり考えないでも、一応みんなの責任ということでみんなで地獄

へ行きたい、ってような。こんな考え方してると、危機の時にはほんとにその通

りになるのだ。前回の日中日米戦争がそうだ。

先日の東北大津波の時、正しい判断をした小学生たちがいて、直感で、危ないと

感じ大急ぎで高台に逃げたのに、子供たちの声も無視して校庭などで悠長に対策

会議やってた大人たちが大波に飲まれた、って話も聞いた。




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