昨日の日記          文は田島薫

茨城でイバラの道

23日の祝日はココ通とばんどごっこの忘年会の予定で、みんなが楽しみにしてた(多分)

のに、私の軽い脳硬塞ぎみの親父の歩行が極度に悪化した、って電話がおふくろから入り、

急きょ年越し滞在予定で両親のいる茨城へ段ボール1箱とガットギターを宅配で送ってか

ら家人と出かけた。

われわれが出かける当日、ケースワーカーの車でおふくろと病院へ検査へ行っていた親父

は、そのまま入院もありうると考えていたんだけど、われわれが午後家へ着いた時には、

すでに帰って来ていて、病院では異常なし、ただの老化です、って言われたって、ひとり

で歩けてたのが急に人の手を借りなければ倒れそうになったり、立ち上がれなくなったの

が、ただの老化、ってのはあまり納得できないんだけど、運動不足の極み、って解釈し、

リハビリ歩行練習を勧め手伝った。


おふくろはどうもわれわれが長期滞在すると思ってなかったらしく、ふだん利用してる生

協からの配達予定メニューや冷蔵庫の中にわれわれの常食である大衆魚のストックがほと

んどないことがわかったもんで、翌日の午後、自転車で食料の買い出しに出かけた。これ

は、さいたまの自宅でいつもやってるおなじみのスタイルなんだけど、さいたまのそれと

違うのは、店までの距離で、さいたまの方は坂があるもののほんの800メートルぐらい

行けばよかったのが、こっちは4〜5キロある。

予定だったら忘年会で楽しく飲んでる日の23日祝日、筑波山を背にしながら広大な平野

の吹きさらし向い風の中、地元民の乗用車がばんばん走る幹線道路のわきの歩道スペース

を、22インチぐらいの買い物かごつきママチャリをよいしょよいしょと進んでるんのか

進んでないのかわかんないスピードでこいでるいい年したオヤジは、このあたりじゃ珍し

いはずなんだけど、帰りにはそのスタイルはさらにパワーアップ、荷台には食料の入った

段ボール箱しばりつけ、かごには親父愛用の失禁パンツのでかいパックを入れたママチャ

リをよいしょよいしょ、とこいで行く私なのであった。




戻る