6/21のしゅちょう
            文は田島薫

(負けをきちんと認める大切さ、について)


インターネットのだれかのコメントで、負けをきちんと認める大切さ、って

ような趣旨のことを先日読んだ時、たしかに、そうしないで、ぐずぐず自己

正当化のへ理屈を思ってるだけだと、いつまで経っても進歩しないだろう、

バカはバカのまま死ぬことになるんだろう、って感じたんだけど、その後に、

沖縄戦での民間戦死者たちについての話をテレビで見た時に、それがより大

きなテーマとして迫って来たのを感じた。

そう大げさな表現で言ってみたけど、これは、毎年終戦記念日などに特集さ

れるテレビなどでも毎度語られるようなことではあるんだけど、それは一言

で言うと「勝ち目のない戦争をいつまでも続けた」、ってこと。

武器も食料も尽きて、どう考えてもただ敵に殺されるのを待つだけ、って状

況になる前や、せめて、最早これまで、って状況では撤退するか白旗上げる、

ことが軍隊規則で認められてたら、兵隊だけでなく民間人の犠牲だって最小

限に留めることができたはずなのだ。

戦争状態であっても捕虜などへの人命保護の国際ルールはあったのだから、

それを守りさえすればよかったのに、わが国の軍隊ではそれは敵にも味方に

も守られることが稀だったようだ。

軍国主義教育で、中国などへの他国侵略を美化し、それに抵抗する勢力は敵

とみなし、しまいに武装勢力と民間人の区別がつかなくなり無差別殺りく、

ってパターンは、今だに世界のあちこちで進行してる戦闘でも起きてるわけ

だから、そもそも、たとえ反政府武装勢力からの軍事攻撃があったとしても、

対抗する軍事行動そのものを安易に始めてはいけないのだ。それをすれば、

相互の戦いになるわけで戦争が始るからだ。

反政府武装勢力からのいきなりの軍事攻撃は乱暴なんだけど、それが起きた

原因をつきつめれば、政府にも問題があったはずなんだから、極力外交交渉

をつくすべきで、それでもそれがやまない時は、イスラエルのように軍事倍

返しするんでなくて、公正を謳い警察捜査のような形でやればいいのだ。

それでも不幸に戦争になったら、不利な方はすぐに負けを認めて、外交交渉

で、相手に寛容を求めるのがいいのだ。

わが国は、全く国土は無傷で、民間人は毎週普通のパーティやってた米国に

対し、国民全員で死ぬまで戦え、って命令した軍指導部のおかげで国全土を

戦場にし、壊滅寸前の沖縄ではそれを真に受けた兵士が、投降しようとする

民間人を止めたり殺したりしたそうで、隠れてた民間人だけのグループは投

降ができ助かった者が多かったようだけど、兵士と同様に考えた民間人や兵

士と一緒にいたグループの民間人はほとんど助からなかったそうだ。


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