映画だ〜い好き 文は福原まゆみ
尾形映画プロデューサーの友人が仕切る映画制作会社で働く映画好き女史が
エッセーを連載してくれてます。
映画女史、溝口作品の技を再確認のようです。
【祇園の姉妹】
溝口健二について話す機会が増え、代表作をまとめて観直すことにした。『雨月物語』、
『西鶴一代女』、『祇園囃子』ときて、今回は『祇園の姉妹』。姉妹と書いて「きょ
うだい」と読む。元々95分あった作品だけど、フィルムの一部が失われて、現在は69
分のバージョンしか観られないのが残念。
花街祇園には甲部と乙部があり、乙部(現在の祇園東)は甲部の数段格下で、民家に住
んで置屋(マネージメント事務所の様なもの)を通して座敷に通っていたらしい。
主人公の芸妓姉妹は乙部に属し、親も無く二人寄り添って生きている。貧しく家賃も
滞納が続く中、古風な姉はかつて世話になり今は没落した商家の旦那の面倒を見、女
学校を出て進歩的考えの妹は、男たちを騙してでも運命を切り開こうとする。男たち
に翻弄され、犠牲になる芸妓の運命を呪う妹の叫びを持って映画は終わるのだった。
本作が公開された1936年は二・二六事件のあった年だ。女性の人権問題、社会構造
に対する抗いを描いて、大丈夫だった時代なのだろうかと、時代背景が気になる。
溝口と言えば、長回し、移動撮影に特徴があるが、本作も冒頭から見応えある移動撮
影が続く。ある商家の入り口から奥へと移動し、家財道具が競売にかけられる部屋を
抜けると家人が惨めに引っ越しの支度をしている。商家の惨めな没落振りを長回しで
見せながら、全体の主題を浮き上がらせる冒頭に圧倒された。奥へ奥へと入って行く
に従い、深い裏の事情が見えてくる。芸妓の世界で言えば、煌びやかな玄関に始まり
少し入った所でお座敷や芸妓同士の確執などが描かれることが多いと思うが、本作は
更に裏まで容赦なく掘り込んで人間ドラマを展開する。芸妓の話なのに、お座敷の場
面は殆どなく、妹に至っては芸妓姿になる事も一度しかなかった。そしてその場面、
洋装から鬘を被ってプロの芸妓姿に変わる山田五十鈴の変化の素晴らしいこと。恐る
べし山田五十鈴!
『祇園の姉妹』
1936年/69分/モノクロ/トーキー
監督 溝口健二
脚本 依田義賢
撮影 三木稔
出演 山田五十鈴、梅村蓉子、志賀迺家辨慶、深見泰三