●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、桜景色に生死の思いを巡らします。



シリーズ散歩日和

桜咲く頃



桜が見頃をむかえた。

この地に30数年住んでいれば、 どこに桜があるか、大体頭に入っている。

学校へいく坂道にある桜並木、お寺の境内にある桜、小さな三角公園に陣取っている桜、

プール横の弁財天を祭ってあるお宮を覆う桜、菊名池の水面に枝垂れた桜などなど。

この時期、咲いたかなと一つ一つ確かめて歩くのも楽しみだ。

桜が咲くと、公園にしろ、お寺にしろ、雰囲気が一変する。白黒写真からカラー写真にな

ったように華やかになる。

そして待ち焦がれた春がようやくきたという安堵感と、短い花の盛りを見届けたいと気も

そぞろとなる。

なぜ日本人はこれほど桜に特別な思いを寄せるのだろう。

寒い冬をただの裸木で立っていたのが、いきなり1週間ぐらいで花におおわれるのだから、

そのドラマチックなこと!

咲けば木そのものが花と化したようなその華やかさ!

さらにパッと咲いてパッと散る、その散り際の良さ!

狂気と華麗さを併せ持つ稀有な花!

潔さとか儚さとかは日本人の東洋的な美的感覚や諦念さにぴったり合うのではあるまいか。

だが、思えば桜にも暗い思い出があった。

桜の散り際の潔さは死生観として軍国主義にも利用され、潔くお国のために死ねと吹き込

まれた時代があったのだ。人間の死が美化され。桜はその象徴となった。

また、受験をして合否をいうのに「桜咲く」「桜散る」と表現するのもいかにも日本的だ。

今、外は風を伴った雨模様。桜はきっとだいぶ散ってしまうのだろう。

コロナ禍なかでもあり、はらはらと散る花吹雪の中に身を置くと、ふと、私は生きていて

来年も桜を見られるだろうか、なんて思いが頭をかすめてしまう。

美しさと儚さを併せ持つ桜はこの世とあの世をつなぐ花なのでもある。


  散る桜残る桜も散る桜     良寛


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