●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんには、本当に大切なものが見えたようです。



再びミニトマト


長雨、猛暑と今年は季節の変化がめまぐるしい。

いつまで続くのかと思った猛暑も9月になったらようやく涼しい日が多くなった。

そして、とうとう、私が手塩にかけて育てたミニトマトが枯れ始めた。

四方八方に伸ばしていた枝が茶色くなり、花もつけなくなり、残っていた2〜3の小

さな実はしわしわで橙色のまま赤くはならない。

さながら精根尽き果てた、というところだろう。

思えば、気まぐれに4月ごろ20センチにも満たない小さな苗を花屋で買ったことから

始まった。野菜を育てるのは初めての経験だった私は、ただプランターに植え替え、

水と肥料をやり、日向に置いただけだった。

なのに、6月の後半から7月8月と、次から次へと赤い宝石のような実をつけた。

私は実のなる楽しさに、水を欠かさず支柱を直し、子育てようにすっかり感情移入を

して世話をした。 

そんなトマトは味でも数でも私の期待を裏切らず、いや、それ以上に収穫をあげた。

そこで私は思った。

花ならば愛でればよい。木ならば成長を見守ればよい、だが、野菜は口に入れ、味わ

い、命をつなぐ、という大きな使命があるのだ、と。

正直、あのとき思い付きで買った小さな苗が、こんなに枯れるまで頑張ってトマトを

生み続けてくれるとは思ってもみなかった。

愚直に、真面目に、忠実に最後の力を振り絞って自分の役目を果たしたのだ。

そして今、その命が尽きようとしている。

あのたくさんの実を生み出していた、精悍なみずみずしい姿はもうそこにはない。ま

るで、骨と皮になり手足をだらんと下げ、まともに立っていられない老人のように。

だが、それは私には崇高で感動の姿なのだった。

こんなになるまで、力を出し切り役目を果たした挙句の姿。

美しいとしか言いようがない。滅びの美。

哀れというより、ここまでやったその執念に私は心打たれるのである。


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