昨日の日記          文は田島薫



ととなま亡き後の保湿剤と畳


先週水曜に尾形歌人がココ通の更新宴会に来た時、共通の友人である彼にととなまが

亡くなって身内だけで火葬も済んだことを初めて伝え、追悼宴会になった。

親族以外で斎場の火葬に立ち会ったのは、私と家人と、会社の元同僚でととなまの奥

さんとも長年共通の友人であるごりりん夫妻と友人のヤンマーだけだったんだけど、

ヤンマーとととなまと私は3人で学生時代から卒業後もつきあいが続きそれぞれ会社

を止めて独立した時一時いっしょに事務所をやってたのだ。その頃にはよくいっしょ

に軽登山したり旅行したりしたし、毎週のように事務所や居酒屋で宴会した。

その後何十年、徐々に宴会の回数が減り、今ではととなまが年に数回親の墓参りのつ

いでにわが家に寄りいっしょにばか話しながら飲む、ってぐらいだったんだけど、ご

くたまにそれに参加してたヤンマーも、底なしの酒量をセーブする意志を持ち始めた

ようだし、ととなまも事務所閉める、って言うんで、これから少し本格的に昔のよう

に宴会づきあい再開すっか、ってみなが思ってたとこへの、奥さんからの突然の訃報

だったのだ。

私もヤンマーもそうだけど、ととなまは気の合った者以外とのつき合いを広げる、っ

てようなことには興味がないようで、同窓会のようなものには出席したことがない代

わりに、出版広告の仕事と同時進行で始めたロックバーが楽しかったらしく、若い連

中とのやりとりは好きだったようなんだけど、儀礼的なことは私同様嫌いで、奥さん

もそれに従って葬儀はせず、斎場も身内だけで送ることにして、友人知人たちにすぐ

に知らせることは止めたのだ。

翌木曜だったか、友人のカメラマンから電話があり、そのまた共通の友人のカメラマ

ンから電話があったんだけど、って、そのまたまた共通の友人がととなまのロックバ

ーへ行ったら閉ってたりしたんで、ひょっとしてととなまが亡くなったんじゃないの

か、って言ってる、って。こちらからだれ彼に報告しなくても、問い合わせられたも

のには答えるべきだろうと思い、その通りだ、って伝えた後、奥さんにそれを伝えた

ら、隠すわけじゃないからかまわない、って。

遡って、火曜に顔に少し残ってる湿疹用の塗り薬が切れたんで医者へ行ったら皮膚科

が休診日で今度土曜だ、って言うんで、1本だけ塗り薬をもらってから土曜の朝、つ

きあう、って家人と医者へ行くと、塗り薬はもうやめて保湿剤だけでいい、って言わ

れそれを5本もらった。

日曜、家人がいよいよピアノの部屋の畳を替えよう、って言うのに同意して、電話

したら間もなく見本持って来て、翌日の今朝、業者1人でピアノをどけて畳を運び出

し、午後のさっきには、もう新しいのを持って来て入れピアノも戻した。


20〜30年前に友人から預かった中古アップライトピアノのある6畳、わが家唯一の畳部屋
 の35年使ってる畳で、畳屋さんから4〜5年ぐらいず〜っと入替え勧められてた。


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