9/2の日記          文は田島薫



東北東海岸へ行って来た


先週火曜の小雨ぱらつく夜遅く、私と家人とその兄貴の3人はバスで東北へ向かった。

被災地の三陸リアス鉄道が全開通したことを聞き、是非行こう、って旅行好きの家人

の希望を入れ、2ヶ月ぐらい前からぼちぼち計画を立てていたのだ。

基本的にわれわれの旅行は新幹線や特急や高級ホテルを使わない貧乏旅行、ってこと

にしてて、昨年女房を亡くした家人の兄貴を誘ったらその条件ごと了承したんで、最

初はJRで水曜に出発する日程で考えたら行程に無理があったんで、前夜高速バスで距

離をかせぐことにしたのだ。

で、われわれの他満席の客を乗せて雨の闇を走り通したバスは無事水曜の夜明け朝5

時に仙台に到着。石巻線や気仙沼線のBRTバスを乗り継ぎ防潮堤工事業者以外人けの

見えない南三陸などの被災地海岸沿いをなめるように北上、気仙沼で下り、小雨の中、

港まで歩き手前の新しい復興マンションの1階にある先客が1人だけの食堂で昼食。

取れたばかりというサンマにでかい養殖ホタテの定食に、新鮮なカツオ他の刺身をサ

ービスでつけてくれた。そこの88才になるという大女将が、震災の様子を話してくれ

たんだけど、地震後すぐ避難したそばの山の上から大津波と燃え始めた港で何艘もの

漁船に次々と火が移りボーンボーン、っと音を立てるのを見ていて哀しかった、と。

港にできたモダンな復興施設には様々な街復興の試みをしている若者たちの活動パン

フレットや数人のスタッフらしい若者の1人に家人は気に入った商品のある店を聞き、

すっぽり水に沈んだはずのほとんど閉まってる商店街を抜け、高台にある駅に向かっ

たんだけど、かなりの上がった位置にある商店街の電柱の人の背を超える位置に水が

来たマークがあるのをわれわれはすでに往きに確認していた。

そこからまたBRTバスで陸前高田の奇蹟の一本松をながめながら三陸リアス鉄道の起

点盛駅へ、そこから釜石周辺の被災地を抜けて、やはり大被害のあった大槌で下車。

駅から20分ほど歩き、被災したため仮設建物で営業してる、復興ボランティアたちが

泊まってたって旅館で宿泊。こんにちは、って言いながら玄関を入り、宿帳を記入し

ながら思わず、大変でした、って言ったら、ええ、そして、その大変が今でも続いて

る、って。共用風呂が小さいことを除けばエアコン完備、格安なのに朝晩に豊かな内

容の食事も出て、晩など刺身他、すげ〜、って驚くほどたくさんの料理が出た。

翌朝は朝食を済ませ8時ごろのリアス線で北上、宮古を抜け終点久慈に11時ごろ到着

ほぼ1時間に1本なんで、1時間ほどで折り返し戻らなくてはならないもんで、ビール

などを買った後、昼飯は駅の立ち食いそばにしようとしたら、汁が無くなってしまっ

て出せない、って言うんで売ってる唯一の弁当であるウニ弁当を3つ買う。ベンチで

アイスクリーム食ってる家人と兄貴を置いて時間まで私は駅前の閑散とした商店街を

ひと回りしてやっと開いてた食品店で野菜ジュース3個とミニトマトを買った。

復路はそのまま行きの逆を辿り気仙沼に6時半ごろ到着。シャワーを浴びてから駅周

辺の飲食店を探し、やっと見つけたおでんやに入り、おでんでビールと地酒。

翌朝は駅前閑散商店街を少し散歩してから、出発し1時半ごろ仙台。昼は駅構内の立

ち食いそばでほや天そばなど食い.仙台からは3人ともこの日大活躍の青春19きっぷで

常磐線。BRTバスで福島原発の浪江町や双葉町を通った時はだれも言葉が出なかった。

茨城に入った頃、仙台で買った牛たんせんべやかまぼこ、牛たん弁当1こを分けなが

ら私と兄貴は同じく仙台で買った気仙沼の酒を飲んだ。


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