●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんも年を重ね心地よい新たな心境を得たようです。


シリーズ 老いの賜物 その1

寄り添う


夫は入退院を繰り返しているうちに、脊柱管狭窄症が重症になってだんだん歩行が困難

になった。杖に頼っていたのが今では手押し車になっている。

近所の医者へ行くときなど、ゆっくりゆっくり二人で歩いていると、ご近所の顔見知り

の人がよく声をかけてくる。

「お散歩ですか?」

「いえ、お医者さんなのよ」

「あら、大変ね。気を付けていってらっしゃい」

などと一言を添えてくれる。

この地に住んで40年近く、町内には隣近所の馴染み、PTA時代のママ友、趣味サーク

ルの友、等々、顔見知りは結構多くいるのだが、若い時は忙しさもあって、用事がある

ときばかりの通り一片のお付き合いだった。

今、お互い歳を重ねて出会ったりすると、付き合いのブランクがあろうがなかろうが、

同じ時代を同じ場所で生きてきた懐かしさのような、また安心感のような感情が生まれ

るのだった。

見慣れた風景の中で見慣れた人たちに会うと、日常つつがない暮らしが続いていてまた

これからも続くような気がして安心する。


たまたま顔見知りにばったり出会って、“こんにちは”だけでなく、“お元気?”など

の言葉から、立ち話に発展したりして、近況報告から一気に身の上相談もどきの話まで

に発展したりして、「まあ!」「そうそう!」などといった言葉が飛び交う。

そこには自分とは違う体験があったり、共感があったりで新しい世界が広がっていく。

ときにはその新しい情報で自分の悩んでいたことが軽くなったりする。

歳を重ねた人の経験談は貴重だ。

人は老いていくうちに孤独やら心の深みやら寛容やらを身につけていくのだ。テレビや

ネットで得た薄っぺらな知識ではない、実体験の強みなのである。

今、私は若い時は、仕事で頭がいっぱいで肩で風を切って歩いていたのが、今や町の中

で誰かしら懐かしい人に出会えるのが嬉しい。

そして気がついた。

どうやら、同じ年代の人々は人恋しい時期に入ったようなのだ。これは歳をとった証拠

かもしれないけれど、老いは過酷で、独りですべて抱え込めるほど人間そんなに強くは

ないということ。

今、私は多くの人と寄り添って生きるのが幸せなのだと気づかされている。


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