●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんちの、庭にいる大好きな仲間。


小菊咲く


この時期、我が家の庭が華やかである。

昔、鉢植えの小菊を水やりが大変だというので、庭の片隅に地植えしたのがいつの間

にか増えて群生している。

何にも手を加えなかったのに、芝生にもマケズ、雑草にもマケズ、勝手に自力でこれ

ほど勢力を拡大したとは!

ごく地味な白い小菊ながら集団で咲けば、華やかさも香りもひとしお、しかも長持ち

で1ヵ月以上も咲き続けているなんて!

眺めるほどに幸せ感に満たされ、とても得をした気分だ。

私はひんぱんに庭へ出たり眺めたりする。

花に囲まれるとある種の浮遊感と陶酔感をもたらす。

思わずしゃがんで、一つ一つを愛でれば、直径3センにも満たない花は、まるで白い

小さな傘をパッと広げたようで、真ん中にこんもりと黄色のめしべをつけていて単純

明快ながら可憐である。

最近、花屋には温室で育てた珍しい花やきらびやかな花が並んでいて、平凡で地味な

菊は店の隅のバケツに突っ込まれているのがせいぜい。

小菊は安くて長持ちするので、仏壇に備える花というイメージが強い。

だが、菊の歴史を見よ、菊の底力を見よ、である。

俳句には“菊日和”という季語に、能には“菊慈童”、歌舞伎には“菊畑”の演目な

ど、日本では心の琴線に触れる典雅で優美な花なのである。

いわば日本人のソウルフラワーともいうべきか。


私はある尼僧の言葉“おかれた場所で咲きなさい”を座右の銘にしていたのだが、我

が家の小菊は、一歩進んで、置かれた場所をさらに広げているではないか。

小さな存在が大きな存在となって人の心を打つ存在となっているではないか。

我が家の庭では、人知れず目に見えない地下で地道な努力がはらわれていて、この秋、

一気にその努力が報われ開花したと思うと、その生命力にドラマチックさに感動して

しまう。

今の私はきらびやかで個性的な花よりも、この地味で平凡な健気な我が家の小菊がと

ても愛おしい。


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