●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、自分や友人の肖像写真について考えました。



写真


友人に写真を趣味にしている人がいる。

あるとき、その人にポートレイトを撮ってもらった。そのとき、

「ほらほら、構えないで。自然体でね」

と声をかけてくる。

そう言われても、慣れない私はカメラを向けられればつい意識して固くなってしま

うのだ。

ようやく何枚か撮ってもらって出来上がった写真をつくづく眺めていると、私って

こんな表情をするんだっけ、と思ってしまう。

自分のイメージって鏡を通して作っていたのだけど、鏡は等身大だし、意識して見

ているので、自分の見たいところを都合よく自分の解釈で見てしまっていたのかも

しれない。

それに、カメラって単眼なのである。要するに片目で見ているのと同じ。というこ

とは立体ではなく平面なのである。

それで分かった。

いわゆる写真写りのいい顔というのがあって、それは平面に向いている顔立ちのこ

とだろう。ほとんどの女性がシワのできる年齢と共に写真が苦手になる、というの

も納得がいく。

そういえば、同い年の女友達も、

「顔にはっきり現れる老いと向き合う勇気はないわ」

とだんだん写真嫌いになっている。

「かといって、今ではパソコン上で簡単に修正技術できるので、思いやりと称して

明らかにシワをとったとわかるのっぺりした顔にされても傷つくのよね」

と、ころころと笑うのだ。

彼女は普段目がパッチリしていて生き生きした活発な表情をしているのだが、笑う

と目が線になってまったく違った印象になる。

果たして写真はこの落差を表現できるのだろうか。

否、写真って静止画だからこうした動きの変化を表現することはできない。

当然写された画面で勝負。ということでどんな一瞬を切り取るかはカメラマンの裁

量次第ということなのだ。

写真とは、どんな瞬間を魅力的な場面として写すかを考え、その撮った一瞬を永遠

にするのが魅力なのだろう。


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