●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、人生についてなにかを悟ったようです。



老いとの付き合い方


先日、小学校の友人たちと作った会のメンバーの奥さんが亡くなったとの知らせを受け

取った。ガンが発見されて1年ほどの闘病だったという。

なんだか最近こうした訃報が多い。

そんなとき、もちろんショックを受けお気の毒にと思うだが、ちょっと若い頃と受け止

め方が異なっている。

さぞ悲しいだろうなと想像するが、その悲しみは他人事ではなく限りなく自分事に近く

なっている。そして、次は私の番かもしれないぞといった覚悟のようなものを促すのだ。

これを老境に入ったというのであろうか。

悲しみも年を取るということだ。

夫がガン宣告を受けて3年以上が経っている。

幸い、早期発見だったので進行もなくガンは落ち着いている。そうしてガンを受け入れ、

共存するものだと納得しだした頃には、今度は年齢的な気力、体力がすっかり衰え、別

のいろいろな不調がでてきている。

傍にいる者もともに年を取り、介護への不安は増すばかりだ。

不安とは起きてもいない先の事を悲観的にみる不毛の感情なのである。

そうは分かっていても、気がつくと、いざというときジタバタしないようにとあれこれ

先走りして悩んでいる。

そんなとき、冒頭の同じ会に不屈の精神を持つメンバーがいて良いことを言っていた。

いわく、

“常に自分は何がしたいかを考えること”

“そのしたいことをするために、今こう動く”

“それをすれば今楽しい”

どうやら、生きる喜びを見つけ、年を取ったら先のことより目の前のことを考えること

が大切のようだ。

目の前に何か集中する楽しみがあれば、不安やストレスはとりあえず消える。

そこまで考えて、ふと目の前を見たら、テーブルの上に買ってきたばかりの好物の梨が

あるではないか。

そこで早速教訓を実践。

梨の皮をむき、大口を開けて食べる。と、サクサクと歯ごたえよく、ほとばしる甘い果

汁が口いっぱいに広がり、ああ、おいしい、と思わず声が出た。

そう、人間、おいしいだけでもそれで十分生きられるのかも・・・

(あまりにも短絡的?)


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