3/6の日記          文は田島薫



新しい掃除機と表現


先週の中ごろの朝、ネット注文しといた掃除機が届いた。先々週末に、家人が掃除中

6年前に買った掃除機が突然動かなくなったんで、この際、サイクロン式のいいやつ

買おうか?って家人に妹んとこにあったダイソンの高機能のやつもちょっと提案して

みたところ、あんな大きいんじゃなくて是非小さくて軽いやつを探してくれ、って言

われたもんで、色々探したら充電式じゃないのに軽くて高機能で安いのが見つかった

のだ。で、掃除好きの家人もすっかり気に入りますます掃除に精出してる模様。

その夕方、近所に住むはるさんちょうさん兄弟の妹こっこちゃんが白菜やほうれん草

その他を持って来てくれ、1時間ばかりコーヒーを飲んで雑談して帰った。

ここんとこ事務所で私は、有名詩人の詩を色々ネットで検索しては読んだり、さんざ

ん聴いてきたやつや、あんまり聴いてない新しいニール・ヤングやその他のロックン

ローラの歌詞を手当りしだい和訳して確認したりして時間を消費してるんだけど、こ

ういったもんは、あんまり、まとめてやるのがいい種類のもんではないのかもしれな

い、って気もして来るわけで、体も使ったり人と関わったりの日常生活の中で、やむ

にやまれずの気持にすっと入って来る、といった出会いの方がずっといいだろうし、

けっきょく、こういったお勉強みたいなもんは座して自分の過去の経験に照らして思

いを巡らす隠居趣味、ってことにもなりそうだから、手当りしだい、ってのはなるべ

くやめて、自分の気持にひっかかるものだけにした方がいいのかも。

そんなわけで(どんなわけだ)、週末はテレキャスターをアンプにつないで、自分の

気分を色々表現してみることにしたら、30分ほどで飽きてしまった。

けっきょく、縛りのない自由、ってもんは行き場がなくて、何かひとつの縛りといっ

たテーマを自分の気持の底から見つけ出し、きちんとした形にする苦労を自分に科す、

ってことをするのが少なくても表現者(だれがだ)には必要なのだ。

そんなわけで(どんなわけだ)、午後の浦和レッズの勝ちゲームの時や夜もテレビ見

ながらアコスティックギターのピッキング練習をくり返す私であった。

日曜の午後は家人と3番目の最寄り駅へ歩き、家人はコーヒーを買い、私は初めての

ス−パーの中のATMで請求が来てた茨城の家のプロパンガス基本料を振り込んだ。


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