●連載
虚言・実言 文は一葉もどき
横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、有効な批評の在り方について考察しました。
ある同人誌の同人の話
合評会でこっそり耳打ちをする人がいた。
「ここだけの話だけど、他人の作品の批評をするってのは格好のストレス解消だね。
だってさあ、悪口言い放題だもの。ハハハ
批評を求める心理ってのはね。もちろん褒められることを期待しているし、そして
褒められれば嬉しいけれど、通り一遍の褒め言葉だけだと物足りないんだな。親身
になって読んでいないとか、ゴマすっているとか、人をバカにしているとか、って
気を回すんだね。
そこで、厳しい辛辣な言葉を使ってちょっとだけ貶したりすると、褒められた部分
が一層真実味が増すような効果があるんだ。
つまり『貶し』はスパイスのようなもんなのだ。
俺は自分の作品のことは棚にあげてさ、他人の作品のあら探しをする。あら探しを
するには深く読まなければならない。自分なりの解釈をもたねばならない。それを
発表することで、周りの人も、オッ、なかなか鋭い見方の持ち主だとか、なかなか
の読み巧者っていわれ、俺の株も上がるというわけだ。フフ」
ちょっと、不遜な発言だけど、確かに真実をついているのかもしれない。
本当に相手のことを思えば真摯なことが言えるけど、そこまで親しくなければ、お
世辞のような社交辞令の言葉で済ますことだってままあることだ。
それでは合評会にはならない。
でもこの人の場合はちょっと違和感をもつ。
この人は自分の戦略的な考えで作品を貶すので、どこかで自分が偉くなっている気
持ちとか、評価すること自体を楽しむ単なる評価目線ばかりを感じるのだ。
相手によかれと思って伝えているのではなく、自分のプライドを満たすために批評
しているのである。
これでは相手に伝わらない。