●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、年頭に数々のメッセージを読み解いてます。



年賀状


元日、年賀状の束を受け取り、家族で回し読みをしながら、それぞれ勝手な感想を言い

合うのは楽しみの一つだ。

その年賀状も、年々その在りようが変わってきている。

昔は絵や版画や書などをあしらい、創意工夫にあふれた個性的なものだったのが、最近

はすっかりパソコンを使った写真挿入やよそゆきの言葉が並んだ活字印刷になった。

そうなると、どうしても儀礼的になりただ安否確認のようになってしまい、そのぶん、

野次馬コメントの愉しみも薄くなった。

時代の変化とともに、デジタル化しているのだからそうした年賀状の体裁の変化は仕方

がないのかもしれない。

だが、まてよ。

娘が持ち寄った年賀状を見せてもらうと、写真を駆使して自由に楽しくて型破りのもの

も多くあるではないか。

とすると、もしかして、これは世代のせい?

自分とともに周りが歳をとっているということ?

変化を好まず前例に従う保守になったということ?

新しいことに挑戦する気力体力が衰えつつあるということ?

これはいかん、と改めて今年はいくつかと自分の歳を指折り数える。

そういえば、そうしたことを証明するかのようにハッとさせられる年賀状が2通あった。

一つは、 “楽に生きるには望みを低くすることなり”という 添え書きである。

まず、こう言い切った潔さがすごい。

歳をとれば昨日できたことが今日できないこともある、これからもっと生活レベルあげ

ようにも、もう時間が足りない、ならばもっともっとという欲望のレベルを下げるしか

ない、これぐらいならといった望みで達成感を味わった方がいい、と教えてくれる。

もう一つは、“欲を出さずに「知足」といきましょう”である。これも老子の教えから

とった、欲を張らずに己の分を守れ、というものだ。昔から足るを知る、と戒められた

ものだが、今こそ実感である。

偶然にも2つとも同じ方向性を示していた。

今の私の環境は、望んでも努力をしてもどうにもならないことが多すぎるので、これら

の言葉はぴったりである。

歳を重ねる辛さを和らげ心穏やかに過ごすために、言葉のトリックでやり過ごそうとい

う指針であり、知恵なのであった。

人間ってすばらしいな、と思うと同時に、歳をとるということはこういうことなのだろ

う、と思う。

年々歳々、人同じからず、である。


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