思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、彼岸の日に此岸の荒れようを嘆いてます。
彼岸
彼岸花の季節がきた。
彼岸花は仏教の彼岸とは関係がない。
昔、墓のまわりに植えたとか、花の形が仏様の天蓋に似ているとか名の由来には諸説あ
るようだ。
仏教では、彼岸とは悟りの世界を指す。
彼岸の対語に此岸がある。こちらは煩悩と迷いの世界をいう。いずれも生死の境で語ら
れる。
ふつう彼岸といえばあの世を連想する。あの世とは、いまは亡き人がいるといわれると
ころである。さぞかし迷いも煩悩もないすばらしいところだろう。
祝日法では彼岸花の咲くころ、秋分の日を「祖先をうやまい、亡くなった人をしのぶ日」
とさだめている。ということは、あの世、彼岸を大切にしろということか。
ところがわれわれの生きる此岸は煩悩と迷いと怒りがうずまいている。お上は彼岸を大
切にしろといっているが、どっこい此岸はそれどころではない。