思いつくまま、気の向くまま
  文は上一朝(しゃんかずとも)


シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、日本に足りない識者について語ります。





識者


日本人より日本人らしいといわれた外国人ドナルド・キーン氏。氏は、2012年日本

国籍を取得しているので立派に日本人であり漢字の鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)の名

ももつ。


先日、氏がリオ五輪報道について新聞に書いた記事を読んだ。その中で感銘したところ

を要約すると『台風のような五輪報道が終わった。ほとんどの新聞は一面から社会面ま

で日本人の活躍を報じ、同じような写真でうめつくされた。テレビも同じで、映像でつ

たえるのは日本人の活躍ばかりでまるで全体主義国家にいるような気分になった。五輪

は国別対抗でないことは憲章に書かれている。それは過去に国威発揚の場になったこと

から学んだと聞く。しかし報道を見ているとメディアが率先して民族主義に陥っている

ようにみえる。

メディアには読者が欲する情報を提供する役目があることはわかるが程度の問題がある。

ニュース価値の判断やバランス感覚も大切であり、批判精神もたいせつである。それが

日本にメダルと美談ばかりでいいのだろうか。五輪期間中にも大ニュースはあった。天

皇生前退位、広島長崎の平和式典、終戦記念日があったが、それらの報道が五輪報道に

圧迫されたように感じた。また、金メダルをとった外国人については、ほとんど知るこ

とができなかった。

次の五輪は東京だ。私が恐れるのは五輪報道で東日本大震災や福島原発事故の多くの被

災者が忘れられてしまうことだ。原発事故が継続しているのになぜ東京五輪なのか疑問

もある。競技そのものよりもそれこそジャーナリズムの本領を発揮すべきところだろう。

五輪報道一辺倒にあたって選手に罪はない。五輪はすばらしい舞台だ。だが、そんな美

名に隠されてしまうニュースがあることが問題なのだ。

リオ五輪開催中も閉幕後も福島原発では事故処理がつづき、多くの被災者が避難生活を

続けている。そんなニュースを報じ続けることが重要だ。伝えるべきを伝えているメデ

ィアを高く評価すべきだ。』

これはメディア、ジャーナリズムへの批判であり、一言の反論もできないまっとうな意

見である。

昔はこのような意見を述べる「識者」とよばれる人がごろごろしていた。ところが今は

どうだろう。権力にすりよるか、大衆に迎合する「識者」とよばれる人しかいなくなっ

た。権力の圧力で真の「識者」の意見が遠ざけられているのか、「識者」の程度が低く

なってしまったのかはわからないが、まちがいなく日本人の「識」というものが滅びて

いくことだけは確かだ。

幸いキーンさんは新しい日本人である。戦後日本を蝕んできた汚れに染まっていない頭

脳でおおいに同胞に警鐘をならしてほしい。


9/20 よーこさんから感想

金メダルを取れないことを競技者に悔やませる日本…
ちょうど、オリンピック開催時期に各国国歌に興味がわいたのに、「君が代」
ばかり聞いていた気がしました。


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