●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが見た世間の人々の諸事情(?)シリーズの11の1。



世間話シリーズ

高志 1


彼の名は高志。父親が高い志を持て、という願いを込めて名付けたのだった。その

父も早死にしてしまい、貧しい母子家庭で育った。

彼は貧しさをバネに、名前に恥じぬよう立身出世を夢見て猛勉強をして、一流国立

大学に現役で入学、卒業後会計事務所に就職して、その後独立開業、有能な会計士

となった。本当は政界入りしたかったが、財力がなく挫折。高い志とは、国に役立

つ人間となって名を残すほどに立派になることと信じている彼はいまだにそれを悔

やんでいる。

高い志とは何か、立派とは何かと心に問うても、自分のいる世間の常識以上のこと

は考えられなかった。

会計士になったのも幼児期の貧困でお金の大切さが身に沁みていたからで、

自分のやりたいことを成し遂げるにはお金を上手に操らねばならぬ、と思っていた。

つまり彼は俗人の域をでることができなかった。

会計士は企業の経営状態に立ち入り、“先生”と呼ばれ、かなりの待遇を受ける。

顧客を増やせば収入が増え、顔も効くようになる。彼はロータリークラブにも入り、

もっともっとと上昇志向で生きているうちにいつのまにか75才を過ぎていた。一

度喉頭がんを体験したが名医による治療と持ち前の負けん気で声を失わずに克服し

たのだった。

すでに十分財をなしたので、引退しても生活できるのだが、長男に会計事務所の後

を任せるには頼りないし、娘は結婚しても何かと実家を当てにし、次男はパラサイ

トであった。

3人の子供たちには高いレベルの教育をつけるため、家庭教師や稽古事に金をかけ、

手厚く熱心に育てたつもりだったのだが、子供たちが揃って向上心がないのは何を

どう間違えたのか…

彼は何事も満足することなく日々心穏やかではなかった。

ある日、珍しく仕事が早く片付き、6時頃自宅のあるM駅に着いた。5月ともなれ

ばまだ西の空は明るく、昼の活気のような空気が滓のように残っていた。

その日彼は美人なのだが従順だけが取り柄のような妻と引きこもり状態の次男がい

る家にすぐ帰る気がしなかった。

どこかで一杯、と思い、彼がときどき寄る焼き鳥のうまい居酒屋ののれんをくぐっ

た。店はほどほどに混んでいたが、カウンター席が空いている。

日本酒と焼き鳥で呑っていると、会釈して隣にポロシャツ姿でいかにも軽い感じの

男が座った。              (つづく)


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