思いつくまま、気の向くまま 文は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、浅薄庶民を皮肉ります。
非寛容
現在の日本は「非寛容」の時代であるという。
たしかに芸能人の不倫騒動やネットの炎上をみると、この言葉は正しいかもし
れない。
「寛容」という言葉を辞書でひくと「過失をとがめだてせず、人を許すこと」
とある。それに「非」がつくのだから正反対のこと、「過失をとがめだて、人
をゆるさない」ということがおこっている。
芸能人の騒ぎを例にとるならば、当人がいかに謝罪しようと受け入れず、その
過失をむしかえして攻撃する。この現象は当事者がどのような態度をとればゆ
るされるのかわからないところが不気味であるが。
では、日本国民がすべてのことに非寛容であるかというとそうではない。
政治問題については寛容である。舛添都知事の問題はワイドショー化したので
非寛容となったが、先日のG8サミットで赤っ恥をかいた安倍首相に46%の
支持を与える寛容さはどこからくるのか。
言い換えれば、芸能人の不倫は許せないが、政治家の失政は許せるということ
か。日本人というものは不思議な民族であるといわざるをえない。