●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさんが見た世間の人々の諸事情(?)シリーズの11の2。



世間話シリーズ

高志 2


案の定、男は呑み始めるとすぐ話しかけてきた。

「この辺にお住まいで?」

「ええ、10分ぐらいの所ですよ」

「そうですか。この店は帰りに一杯というのにはちょうどいいかもしれませんね。

焼き鳥がうまくて、大きすぎずこじんまりしすぎず入りやすい。私は店をやってる

んだけど、5時に閉めると晩酌のつもりでほとんど毎日ここへ一目散です。」

へへ、と最後に人懐っこい笑いが入る。

「ほう、何の商売です?」と彼が聞くと、

「床屋ですよ」

という返事。

「床屋さんですかあ…一国一城の主ですね」

彼が如才なく応じると、

「城というほどのことはないけど、床屋はカミソリとハサミがあれば仕事ができる

いい商売でね、手に職ってよく言ったもんで、仮に店を構えなくても施設やお客の

自宅に出張してでもできる商売なんでね。自然と宵越しの金は持たないっていうか、

その日が食えりやぁ明日のことは考えなくていいってもんですよ。」

と、よくしゃべる。彼はなんと志の低い男だろうと思ったが、まったく正反対の生

き方にかえって興味をそそられ、男の生きざまを聞いてやろうと思った。

「老後の不安とか、店をもっと大きくしてやろうとか、客を増やして繁盛させて、

財産を増やそうって気はないんですかね?」

「ないですね。床屋ってのは一人に費やす時間は決まっているので、いくら頑張っ

たところで収入がべらぼうに高くなるってものではないしね。仮に財産あればあっ

たで減らすまいと気苦労するばかりでしょ。それだったら、こうして毎日呑めて、

月に数回ゴルフができれば御の字です。気楽なもんです。そう思うと金なんか貯め

る気もおきませんや。はは」

床屋は屈託なくしゃべる。

「客商売だと気を使ったりしてストレスなんかは溜まりませんかねえ」

「ストレス発散はねえ…客のヘアースタイルを適当に自分の思うようにアレンジし

て、お似合いですよ、とか言ってね、客を満足させる。結局は自分が主導権を握っ

ちゃうんでストレスなんか溜まりませんね」

その話を聞いて彼は心底うらやましくなった。

毎日お得意をふやそうと心を砕き、銭勘定に頭を使い、今の地位を守れるか、財産

や老後は安泰か、そんなことばかりを心配してきた日々とはなんとかけ離れている

ことだろう。

「後継者は?」

「今のところ息子は継ぐといってますけど、どうだか・・・。食えなきゃ別の仕事

をするでしょうし。出たとこ勝負でいいって言ってるんですよ。それに耐えるだけ

の根性は鍛えたつもりですから」

そういえば、彼には“出たとこ勝負”なんて言葉とは無縁だった。綿密に人生設計

をし、子供には良い学校良い会社に入らなければ人生ダメみたいに言って、期待を

かけ、人生の成功者をめざすように教育したのだった。

名前どおり高い志を目指したつもりで心配ばかりしていた自分の人生。目の前の幸

せそうな床屋の男の顔を見ていたら、何だか損をしていたような気分になった。 

(了)


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