消えゆく言葉
友人にたのみごとをしたら快諾してもらえたので「かっちけね〜」とメールを
したら、「ソレハ何語デアルカ。日本語デアルナラ、イカナル意味カ…」とメ
ールがかえってきた。
「かっちけね〜」は「かたじけない」がくずれたもので江戸の町言葉だったの
だろう。自分でも、子供のときからおどけた拍子にふつうにつかっていた。さ
すがに社会人になってからはつかわなくなったので、俗にいう標準語でないこ
とは認識している。
メールの相手は東京生まれの東京育ちの人間なのだがこの言葉をしらなかった。
このように時代とともに消えてゆく言葉はたくさんあり、しかたがないことだ
と思っているが、許せないのは消されてゆく言葉が数多くあるということだ。
先日の新聞にこの許せない事例が載っていた。
名人といわれた落語家の三遊亭円生が心血をそそいだ「円生百席」というレコ
ードをソニーでつくったが、これがCD化されるにあたって「差別語」が大幅
にカットされた。そのうちのひとつ「三十石」を例にとって書いてあるがここ
では引用しない。なぜかというと、いまの人にはどこがなぜ差別語なのか注釈
をくわえないとわからないからだ。これは年寄りか、なにかをタメにする人に
しかわからない、一般にはなじみのない言葉になっている。このカットされた
ところは落語の下げにつながるところなので、ここがなくては面白みが半減し
てしまう。
たしかにふだんの生活で、悪意をもって差別語を面と向かってつかわれたら気
持ちのいいものではない。しかし、この話は古典芸能の世界である。そうめっ
たやたらに耳につくものではない。それに古典落語は大切な文化の伝承であっ
て、現代において差別語だから抹消していいというものでもあるまい。おかし
なことに同じ「三十石」のビクター盤ではそのまま入っているそうだ。という
ことはソニーの過剰な自粛ということだろうか。消えゆく言葉のなかにはこう
して意味もなく乱暴に消されてゆく言葉もすくなくない。 |