思いつくまま、気の向くまま 文と写真は上一朝(しゃんかずとも)
シャンせんせいのガンリキエッセー。
シャンせんせい、自身の作品は自身で評価すれば充分との考えのようです。
げーじつ
おれの作品は「げいじゅつ」ではなく「げーじつ」だ、といった作家がいた。自分の作
品を卑下したのではなく当時の風潮に物申したかったのだろう。
木枯らし一号に吹かれて、またレンズを買ってしまった。それも一万円を越すという高
価な買い物である。
物の値段は需要と供給のバランスによってきまるのが商取引の原則であるが、中古品の
世界では主に需要が値を決めているようだ。茶器を例にとれば、昔の朝鮮の雑器を日本
の茶人が愛でたために国内では途方もない高価なものとなった。その世界の権威と言わ
れる人が推奨すると、物のもつ本質よりも推奨というマインドコントロールが価格を決
めるようになる。
このレンズは50年前の発売だが、現在も遜色なく使えるどころか昨今のコンピュータ
レンズとひと味ちがった写りをしてくれる。では、なぜ安価なコンデジ一台の値段で買
えたかというと、権威といわれる先生方のお目こぼしにあずかったからだ。
しかし、どんなにいいレンズだといっても大先生方が認めてくれなかったレンズで写し
た写真に「芸術」を名乗るのはおこがましく、「げーじつ」がふさわしかろう。