10/31の日記          文は田島薫

ユーシロセンセーの死


先週の日曜に札幌へ一時帰った兄貴が月曜の夜には病院からの警告で病院へ戻ってたんだ

けど、火曜日に見舞いに私と行く時、家人は映画好きなユーシロセンセーに色々話そうと

自分が観て集めた映画のパンフレットの束を持ってってセンセーに、きょうは聴く気力が

ないかなと聞くと、ない、とうなずいた。

翌水曜日、友人のととなまからメールが来て肩の骨折が治り軽いリハビリ中の奥さんと午

後、わが家に遊びに来たんで、センセーのこと伝えた。

翌木曜日、午前、ととなまが病院へ向かってるらしく場所の確認の電話があった。私と家

人は午後自転車で病院へ行ったら、ユーシロセンセー、ほとんど眠ったようなままで、呼

びかけにたまにかすかににうなずく程度だった。

夜食事をしようとしてた時兄貴から電話があり、非常に危ない状況だ、って病院が言って

る、ってことだったんだけど、入院当初から危篤のような表現をしてた病院の言うことを

半信半疑に思い、そのままビールでのんびり食事。ちょうど食事が終わった頃、また兄貴

から電話があり、今さっき亡くなった、と。

われわれはタクシーで病院へ行くと、兄貴の他センセ−の妹も来てて、葬儀社が来るのを

待っていた。荷物を持って妹は自宅へ帰り、兄貴は葬儀社の車で遺体と葬儀社へ、私と家

人は葬儀社のひとりの案内で13分ほど歩いてそこへ行き、線香を上げ、明後日の火葬の打

ち合わせに立ち会った。

金曜の午後は兄貴がわが家へ来て1泊、翌朝、タクシーと電車を乗り継ぎ葬祭場へ予定時

間より小1時間前に着いたんだけど、葬儀社の人はすでに来ていた。

ユーシロセンセーの兄貴と妹とおい夫婦とその息子、家人と私の他、センセーの高校時代

からの親友2人が火葬に立ち会った。葬儀社の車で兄貴と妹はお骨持って帰り、残された

われわれは、おい家族の真似をして川の土手を行き駅まで2〜30分歩こうかと思ってたら

私と同じ市内に住む親友2人の車に呼び止められ、わが家そばまで便乗させてもらった。

帰宅後、いつものように食事をし、食料の買い出ししたりしてからテレビ観戦。わが浦和

レッズはルヴァンカップに続きJリーグセカンドステージ優勝を決めた


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