●連載
虚言・実言         文は一葉もどき


横浜が縄張りの元タウン誌ライター。
貧しさにもめげず言の葉を探求し、人呼んで“濱の一葉”。
ウソ半分、ホント半分の身辺雑記を綴ります。
もどきさん、東大界隈の散策と元同級生や地元民との話を楽しんだようです。



シリーズ 街角感傷

本郷


ある日、かつての同級生、S君から絵画個展の案内状を受け取った。

場所は文京区の本郷。本郷といえば東大が頭に浮かぶ。まったく縁がない大学だけど遅

ればせながらキャンパスぐらい見ておきたい。それに本郷界隈は樋口一葉、夏目漱石、

森鴎外などの文豪が住んでいた古き東京の住宅街だ。ちょっと興味をそそられるではな

いか。

というわけで、本郷界隈の散歩がてら出かけてみた。

案内状を握りしめ、地下鉄南北線東大前より本郷通りを本郷三丁目方面に向かって歩く。

舗道沿いは鬱蒼とした感じで木が生い茂り、東大のレンガ塀はどこまでも続くかのよう

だ。反対側は軒の傾いたようなレトロな雰囲気の古本屋や喫茶店、食べ物屋が立ち並び、

威厳と雑踏の好対照だ。

途中、農大の門があったのでキャンパス内に入ってみると、いかにも歴史を感じさせる

くすんだ建物が並んでいた。なんだか気後れがして、辺りを見回しただけでそれ以上は

奥にはいかずすぐ引き返す。

しばらくすると威風堂々の正門があり、銀杏並木のまっすぐ延びた道の先にレンガ色の

安田講堂が見える。安田財閥の寄付によるものだと聞くが、凝りに凝った建物が縦線の

多い効果ですっきりと空にそびえていた。

かの有名な赤門の前に立つと、ちょんまげの侍ではなくひょろひょろした学生がなんの

ためらいもなく出入りしているのが不思議な感じである。

ここもカメラに収めるとすぐ離れ、とりあえずギャラリーに急いだ。

目印の本郷郵便局を右に曲がるとまったくの平凡な住宅街である。こんなところにギャ

ラリーが? と不安に思いながらきょろきょろ探すとそれらしき一角を発見。入口に

“S個展会場”の立看板がなければ見過ごしてしてしまうような普通の住宅の一階であ

った。

恐る恐るドアを開けて覗くと、なんとS君ともう一人の男性がワイングラスを傾けて酒

盛りのまっ最中だった。別にバツの悪そうな顔もせず、「やあ、いらっしゃい」とS君

は片手に持ったグラスを軽くあげて言った。あの学生時代のやんちゃな感じそのままだ。

「本郷界隈はいいところなんですねえ」

こちらも街歩きの興奮をひきずったまま、まず町の様子をほめた。

「ああ、だいぶマンションも立ったけどまだ昔の面影が残っているからね。東大の中見

てきた?」

「ちょっとだけ。帰りに三四郎池にも寄ってみようかと思ってるんですけど、誰でもキ

ャンパス内に入ってもいいのかしら?」

「いいんですよ。私なんか我が家の庭みたいに歩き回って東大生よりもでかい顔してま

すよ」

と、このギャラリーのオーナーという男の人が口を添える。

「三四郎池なら安田講堂から坂道を下ってすぐだよ。あ、俺なんか東大病院の患者様だ

からな。大威張りで出入りしている。東大に入れなかったやっかみもあってね…赤門も

行った? あ、そう。なぜ赤いか知ってる? 将軍の姫が前田家へ輿入れしたからなん

だって。姫が輿入れすると朱色に塗るしきたりだそうだ」

などと本郷自慢と観光案内が続いて、なんとなく肝心のS君の絵の鑑賞は後回しになっ

てしまった。

時間はたちまち過ぎてすっかり遅くなり、その日予定していた菊坂散策は断念したのだ

が、本郷の印象は強烈で、時代を感じさせる景観やら久しぶりの旧友との出会いやらで、

味の滲み込んだ煮物のように時がかもしだす味わいに満ち満ちていた。

本郷は意外と型破りの人を育てる懐の深い街なのかもしれない。


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