悪しき習慣
新安保法案も今週末には強行採決の様子。
それにつれてテレビ各局も賛否のインタビューがふえてきた。賛成、反対の両意見を
平等に放映しなければならないのがテレビ局のつらいとこ。
反対意見はおおむね戦争法反対で統一されているようだが、本質からずれている。個
人的には中国北朝鮮の軍事的脅威、中東の不安定要素いずれも対応の必要な案件であ
ることは認めるが、つごうのわるいことは伏せておくという決め方がきにくわない。
先日テレビで賛成派のおじさんの意見を聞いておどろいた。いわく「議論は充分尽く
されたのだからはやく採決すべきだ」と。
さて、このおじさんはなにを根拠にこのような意見をもつのだろうか。朝から晩まで
テレビの国会中継を見、ニュースをくまなく見、新聞各紙を読み込んでも安倍、中谷
の答弁からは尽くされた議論というものはみえてこない。それなのにこのような意見
を持つ人がでてくるということは、ひごろ政治に無関心であるところに安倍マジック
が展開され、コロリとまいってしまったのではないか。このように政治にたいして国
民が脆弱になってしまったのは、政治に対する無関心が習慣化してしまったからだ。
急速にあらためられた悪しき習慣にタバコのポイ捨てと路上の犬の糞がある。駅のホ
ームの線路はタバコの吸い殻で白く染まっていたし、地下鉄のホームはビルの喫煙室
よりもタバコの煙がうずまいていた。路上や公園の芝生のなかの犬の糞もはんぱでは
なかった。ところがどちらもわりあい短期間でマナーが守られるようになった。タバ
コを捨てる人もやたらに犬に糞をさせる人も内心では気持ちがわるいと思っていたの
であろう。ところが政治に無関心という悪しき習慣はいっこうにあらためられる様子
がない。これは国民が政治に無関心でいてはいけないと思わないからだろう。 |